お経を聴くのは葬式の時くらい。それも意味が分からないし、お坊さん独特のリズムで読まれるので、聴いているうちにだんだんと眠くなる……。そんな人は多いだろう。 
それじゃ、あまりにもったいなさすぎる!
仏教のエッセンスが詰まったお経は、意味が分かってこそ、ありがたい。世界観が十二分に味わえる。この連載は、そんな豊かなお経の世界に、あなたをいざなうものである。
これを読めば、お葬式も退屈じゃなくなる!?


著者:島田 裕巳(シマダ ヒロミ)
1953年東京都生まれ。宗教学者、作家。東京大学文学部宗教学科卒業。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任。現在は東京女子大学非常勤講師。著書は、『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』『葬式は、要らない』(以上、幻冬舎新書)、『0葬』(集英社)、『比叡山延暦寺はなぜ6大宗派の開祖を生んだのか』『神道はなぜ教えがないのか』(以上、ベスト新書)、など多数。

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【「葬式は葬儀会館で」がほとんど】

この連載を開始するときにも述べたように、一般の人間がお経というものに接するのは、主に葬式のときである。

仏教式の葬儀においては、僧侶が導師をつとめ、儀式をつかさどる。その際には、読経ということが行われ、宗派の教えにかなったお経が読まれることになる。

 

もちろん、お経というものは仏教の開祖とされる釈迦が説いた教えを記したもので、そこには仏教の教えが展開されていることになる。

その点については誰もが理解しているはずのことだが、ではなぜ葬式のときにお経が読まれるのかということになると、うまく説明できる人は少ないかもしれない。

 

現代でも、葬儀を行うというときに、多くが仏教式で行われる。以前は、ほとんどの場合に仏教式葬儀が選択された。というのも、葬式を出す家は、特定の寺の檀家になっていて、葬儀には檀那寺の住職を呼ぶからだ。あるいは、檀那寺で葬儀が営まれることも珍しくなかった。ほとんど葬祭会館で行われるようになったのは、最近のことである。

 

image【間が持たない葬式】

現代では都市化が進んでいて、今都市に住んでいる人間の多くは、いつの時点かで、地方から都会に出てきた人間たちである。

そうした人間たちは、都会に出てくる時点で、地方での信仰を携えては来なかった。実家で行われている宗教行事を営むには仏壇と神棚が要る。その仏壇と神棚を都会の家に設けるケースは必ずしも多くはなかったのだ。

少なくとも、都会に出て来た時点で、特定の寺の檀家ではなくなっている。都会で新たに墓を設け、それが寺院の墓地であれば、新たに檀家になることもあるが、皆が皆そうしたわけではない。

 

民間の霊園と呼ばれるものの場合、実際には、どこかの寺が運営の主体になっているのだが、そうした墓地では、宗教・宗派を問わずという形で墓の募集が行われるために、寺と檀家関係を結ぶことはほとんどない。少なくとも檀家になるよう強制されることはない。

檀那寺があれば、必ずその寺に葬儀を頼み、その結果、仏教式の葬儀が営まれることになる。

けれども、檀家関係を結んでいなければ、檀那寺にあたるものがないわけで、寺の住職を葬儀に導師として呼ぶ必要はなくなる。それでも、現在、葬儀社などに頼んで、どこかの寺の住職に来てもらうことが少なくない。しかし、最近になると、しだいに僧侶を呼ばない葬儀、無宗教式の葬儀が増えている。

 

寺で葬儀が行われると告げられ、行ってみると、会場自体は寺の境内地にある会館だが、形式は無宗教ということもよく見られるようになった。

無宗教式の葬儀では、僧侶による読経がないため、故人が好きだった音楽などが流される。焼香の代わりに献花が行われる。

 

以前は、無宗教式葬儀の問題点として、読経が行われないので間がもてないということが指摘された。

たしかに、社会的な功績もある著名人なら、関係者がさまざまに弔辞を読んだり、故人の業績を紹介するなどということが行われ、無宗教式でも様になった。

それが、一般の人間になると、音楽を流しても、くり返し同じ曲を流す結果になり、儀式としての格式が整わなかった。

ところが、最近では、どの葬式においても、参列者の数が減り、無宗教式でも間がもてないということがなくなってきた。それも、仏教式葬儀離れに結びついている。

 

【直葬が4分の1】

近年では、葬儀そのものの簡略化が進み、身内だけですませる「家族葬」が中心になってきた。葬儀社も、家族葬を宣伝している。

さらに、もっとも簡単な葬儀としては、「直葬」が広がりを見せている。

これは、「火葬」と呼ばれることもあるが、通夜や通常の葬儀・告別式を行わず、火葬場に直行し、火葬した後に骨上げだけで済ませてしまうものである。

この直葬の際に、僧侶を読んで、お経を上げてもらう場合もなくはない。だが、それはごく少数である。

首都圏では今、この直葬の割合が、葬儀全体の4分の1にまで達している。この直葬の場合には、自ずと無宗教式の葬儀になるわけである。

 

仏教式の葬儀が営まれなくなっていくと、一般の人間がお経を聞く機会も減ってくる。葬儀以外に、そうした機会はほとんどないからだ。そうなると、私たちが仏教とかかわりを持つこと自体が少なくなっていくかもしれない。

 

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