お経を聴くのは葬式の時くらい。それも意味が分からないし、お坊さん独特のリズムで読まれるので、聴いているうちにだんだんと眠くなる……。そんな人は多いだろう。 
それじゃ、あまりにもったいなさすぎる!
仏教のエッセンスが詰まったお経は、意味が分かってこそ、ありがたい。世界観が十二分に味わえる。この連載は、そんな豊かなお経の世界に、あなたをいざなうものである。
これを読めば、お葬式も退屈じゃなくなる!?

著者:島田 裕巳(シマダ ヒロミ)
1953年東京都生まれ。宗教学者、作家。東京大学文学部宗教学科卒業。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任。現在は東京女子大学非常勤講師。著書は、『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』『葬式は、要らない』(以上、幻冬舎新書)、『0葬』(集英社)、『比叡山延暦寺はなぜ6大宗派の開祖を生んだのか』『神道はなぜ教えがないのか』(以上、ベスト新書)、など多数。

image

その『観無量寿経』の中心的な部分で説かれているのが、16の観想の方法についてである。

観想というのは、仏教の初歩的な瞑想法とも言えるもので、仏の姿や浄土の光景を思い浮かべることによって、自らの罪を滅ぼし、極楽浄土で往生することをめざすものである。

 

この16の観想の方法は、最初から13番目までのものと、最後の3つとに大きく分けられている。

最初から13番目までの部分では、まず日没を観想することからはじめる。日没が最初に出てくるのは、極楽浄土が、日没の方角である西方にあると考えられているからである。

そこから、極楽浄土の姿を、水、地、樹、池、蓮華といった具合に次々と思い浮かべていく。そして、阿弥陀仏の脇侍となる観音菩薩と勢至菩薩を観想し、最後に阿弥陀仏を観想することになる。

 

釈迦は、その方法として、「もし心から西方に生まれたいと願うなら、まず、一丈六尺の像が一つ、池の水の上にあると観想するのだ」と説いている。そして、「仏の像を観想するだけでも無量の福を得ることができる」と、釈迦は観想による功徳を保証している。

 

一丈六尺とは、およそ4メートル85センチの高さに相当する。人の背に比べるとかなり高いが、釈迦が一般の人間よりもはるかに優れた存在であること示すために、これだけの背丈があるとされてきたのだ。

そして、釈迦を象って造られる仏像も、この「丈六」の大きさで表現されるようになる。日本各地には、この丈六の高さの仏像が数多く残されている。

image

さらに、最後に3つの観想が残されているが、それは、阿弥陀仏の住まう阿弥陀浄土、西方極楽浄土に往生するための方法である。

上品、中品、下品という3つの観想の方法は、それぞれがさらに、上生、中生、下生に区別され、都合9つの種類に分けられている。これは、「九品」と呼ばれる。

 

東京の世田谷区を通る東急大井町線に、九品仏という駅がある。そう呼ばれるのは、近くに九品仏浄真寺という浄土宗の寺があるからである。

この九品仏浄真寺では、「お面かぶり」という行事が名高い。これは、「二十五菩薩来迎会」が正式な名称である。3年に一度、8月16日に行われるもので、寺の僧侶が菩薩の面を被って、本堂と上品堂と呼ばれるお堂の間にかけられた橋を渡るものである。

 

また、『観無量寿経』の九品の考え方にもとづいて、9体の阿弥陀仏を祀っているのが、京都の南部にある浄瑠璃寺である。

浄瑠璃寺は、平安時代後期の永承2(1047)年に創建されたが、実はこの時代には、都の周辺にいくつも9体の阿弥陀仏を安置した寺が建てられた。ところが、現存するのは、この浄瑠璃寺だけなのである。

 

<<親に対する孝

関連カテゴリー: