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<この物語は、ある霊能力者をモチーフにして描かれたフィクションである。>

それがどれ程気味が悪いか、自称「ノーマル」な健作には分かり様も無い。それでも、隣で青白い横顔を見せる明美を伺う限り、明美が見てしまったと告げる陽炎が、健作の想像を遙かに凌ぐ凄まじさだったことが容易に想像できる。

顔も無いのに、その禍々しい表情がわかる。強烈な腐敗臭が鼻腔にこびりついている。

『見てはいけない!』

頭の中で、けたたましく警鐘が鳴った。

思わず顔を伏せた明美を、通り過ぎようとする陽炎の一体が、真横に90度以上もカラダを曲げ、そのままコンパスを回すように頭部を真後ろに回しながら覗き込もうとしている。明美が硬く閉じた瞼をほんの少し開いた瞬間、今度は真後ろに折れ曲がった陽炎が紅蓮の口腔を見せて嗤った。

目覚めると同時に掛け布団を跳ね上げた明美は、蒼ざめた顔に冷たい汗をかき肌に粟を吹き出させていた。

「どうした? なにかあったのか? 明美、おまえ身体が冷たいぞ」

隣で寝ていた健作が、震える明美の肩を抱く。

「…見つかっちゃった」

「見つかったって、…もしかして、俺に似てるって奴にか?」

「そう。アイツ、夢の中で子どもたちを追い駆けてた。…健作、少しの間出歩くのは止めて。大丈夫、ここに居れば安心だから。でも、健作も注意してね」

「ああ、わかった。明美が出かけるなって言うなら出かけないよ」

震える妻の肩を抱き、可能な限りの心強い返事を返したつもりだったが、それにしても健作には、何をどう注意すればいいのか見当もつかなかった。

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次の日から健作は、出かけることも無く一日中家で過ごした。朝は義母や美由紀と一緒に食卓を囲み、日中は書斎で調べ物をしたり義母と他愛もない話をして過ごすのだが、そんな義母と婿の睦まじいやり取りにすら姿無き訪問者は影を落とした。

「あれ。健作、いつ帰ってきたの?」

リーディングを終え、キッチンを覗いた明美が声を上げる。

「ん、お疲れ。なに言ってんだよ、俺、今日はどこにも出かけてないぜ」

あの夜の一件以来、健作の散策は禁止されている。今日も、お昼までは書斎に籠り、昼食を済ませてからは義母の相手をしていた。

「うそ。出かけてたでしょう。さっき外歩いてたでしょ」

「なに言ってるの。健作さんは、ずっとここに居たわよ。ねぇ、健作さん。可哀想に、今日はずっと私の相手をしてくれてたんだから」

午前中は父の書斎で呪術について調べていた健作だが、これといった成果は得られず、お昼を頂いてからは義母の愚痴とも相談ともつかない四方山話に付き合わされていた。母にしみれば、実の娘たちでは聞いてもくれない話を真剣に聞いてくれる健作が嬉しいし、健作にとっても、明美の幼い頃や家族の歴史を知るチャンスでもあり結構楽しんでいた。

「う~ん…おかしいわねぇ…」

めずらしく夕飯の支度を手伝った明美が、天ぷらを一つ箸でつまんで物珍しそうに眺めながら溜息をついた。

「ん? なにか気になることでもあるのか?」

あれ以来、健作も明美も、互いの挙動に敏感になっている。

「おかしいのよね。…最後のお客さんって中村のおばちゃんだったのよ。いつものように世間話だったんだけど。入ってくるなり健作のことを聞かれたのよね。今、そこを…(健作が)横断歩道のところを歩いてたって。…だけど、健作はここに居たのよねぇ…」

「おいおい、またその話かよ。だからさっきも言ったじゃん。今日は俺、どこにも出かけてないって。お義母さんもそう言ったろ」

「疑ってなんかいないわよ。ただ、だとしたらどういうことだろうって…。もしかすると、そっくりな人でもいるのかなぁって」

母は、そんな二人のやり取りに「あれじゃない。この世にはそっくりな人間が3人いるなんていう」と茶々を入れてきたが、当の健作は、口にこそ出さないものの先日の謎の男が思い出されて気が気ではなかった。

忍び寄る音

「明美、ちょっと来てくれよ」

眠りに就こうとパジャマに着替えた明美を、同じくパジャマ姿の健作が呼びに来た。いつもの呑気な顔ではない。明美は少し緊張して健作の後を追った。前を行く健作は、明美が付いて来ているかどうかも確かめることなく暗い廊下を進んで行き、トイレの前まで来ると隣の座敷の襖を開いた。

「どうした? トイレになんか連れてきて?」

「明美、おまえちょっと座敷に入っててくれないか」

言われるままに明美は、昼間はリーディングをする誰も居ない座敷に入り襖を閉めると蛍光灯のスイッチを入れた。パチッという音にほんの少し間を置いて白色灯が瞬き白々と畳敷きの座敷を照らし出す。

「パチ。…パチ」

襖を隔てて、廊下に居る健作が、トイレの電気のスイッチを入れ、しばらくして、またスイッチを切るのがわかった。

「シーッ。静かに」

襖を開けて座敷に入って来た健作が、来るなり眉をひそめて口元に指を立てる。

…パチッ。

「聞こえたよな。…あれなんだ? 俺さぁ、確かにスイッチ切ったよな」

明美にも、トイレから出てきた健作がスイッチを切る音が聞こえた。しかし、その後もう一度聞こえてきたのは、確かにトイレのスイッチを切る音だ。

「今日さぁ、なんか俺の周りで妙なことばかり起こるんだよな。…中村のおばちゃんもヘンなこと言ってたじゃん。…気味が悪いんだよなぁ」

パジャマ姿で布団の上に座り込んだ二人は、お決まりのロングピースを忙しなく吹かしながら語り始めた。勢いよく煙を吐き出した健作の顔には、さっきのスイッチ音の緊張がまだ張り付いている。

「午前中は書斎に居たんだけど、蛍光灯が音を立てたり、本がパラパラ捲れたりするんだよな。別に風が吹いただけかも知れないし、それ以上なにがあったってわけじゃないからいいけどさ、そんなこんなで気持ち悪くなってぇ。それで、午後はお義母さんと話してたんだ」

なるほど。明らかにそれは、そしてスイッチ音も、世に言うラップ現象に違いない。ラップ現象とは最もポピュラーな霊的現象の一つで、その多くが霊の存在を知らしめるサインか、何かの異常を知らせる警告と言われている。

付き纏うもの

正直、明美にとってはラップ音などめずらしくも無いし驚くようなことではない。明美の周囲ではラップ現象など日常茶飯事だし、以前、まだ高校生の頃に密教にはまっていた当時は、TVのブラウン管が破裂しそうになったこともある。ただ、今回のラップ現象は健作に対して起きている。なぜなら、明美はもちろんのこと、夕飯時の母や飲み会で遅く帰ってきた美由紀もいつもと変わりなかったし何も言っていなかった。母も美由紀も、普段は何も言わないし素知らぬ顔をしてはいるが、こんな家に生まれ育ったおかげで人一倍そういうことには敏感になっている。だから、自分たちの周りで同じようなことがあれば、必ずなにがしかの関連性を探りだそうと明美に話をするはずだ。

「ねぇ、ちょっと横になって」

暗に健作は、明美のこの一言を待っていた。明美は、東京に居るときも亜里沙や健作に何かあると、うつ伏せに寝かせて背中に掌をあてて原因を探した。そして、問題の本質や故障の原因を探り当てては解消し、亜里沙の具合を元に戻したりしていた。明美は、それをスパイナルリーディングと呼んでいる。

スパイナルとは脊椎である。明美いわく「人間の想念は脊椎の辺りに蓄積する」らしい。このスパイナルリーディングを施すことにより、明美には相談者の記憶や過去を、まるでアルバムのページを自らの手で繰るようにつまびらかにすることができた。と同時に、内側に潜む故障を感知するのだ。

「…はい。もういいわ。大丈夫よ、なにも居ないわ」

もしやと危ぶみはしたが、健作の内に禍々しいモノは存在しなかった。見つけたのは、いつものヴァイキングの族長のような男だ。その北欧の戦士のような男は、いつものように健作の内に居た。この男が居る限り、禍々しいモノがそう簡単に侵入出来るはずが無い。こうなってみると、背中までもある長いブロンドを風に靡かせた蛮族の長を思わせる荒々しい男が、明美にはこの上なく頼もしく感じられた。

「心配しなくても、健作には入ってこれないわ」

「だから付き纏うのよ」と言う一言を呑み込んで、明美は寝支度を始めた。このままだと、いつまでも健作の質問攻めに合う。本来ならば付き合って応えてあげたいが、今は他にも考えなければいけないことがたくさんある。そしてそれは、夫婦で語らうのではなく、明美自身の内側に問うことでしか答えが得られそうに無かった。

まだ何か言いたげな健作を無視して電気を消し、胸の内で光明真言を唱えて静かに意識を絞り込み、そのまま無意識の深みへと沈めて行く。しばらくの間、健作の不満そうな声が聞こえていたが、それもやがて遠くなり聞こえなくなった。替わりに、それまでは全く耳に届いてなかった名も知れない虫の声や、果ては夜の静寂が催す微かなざわめきまでもが、まるですぐ耳の横でするように明確に聞こえてくる…。

始まった。幾つかの顔が現れては消えるのを繰り返す。見知った顔もあれば見たことの無い顔もある。皆、一様に不安そうな顔をしている。そして最後に残った姿をよくよく見れば、それは祖母と曾祖母だった。

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二人が語り合っている。意識を凝らすと、囁くような二人の声が聞こえてきた。

『救いの手はいつじゃろうのぅ』

『…赤黒き銀門が開く時じゃろぅ』

『なるほど、…ほどなく銀門も開こうて』

二人が何を話しているのか、やっと聞き取れた言葉の意味をわかろうとする意識とは裏腹に、濃厚な睡魔が明美を捕らえて放さない。そんな睡魔に抗ううちに、やがて明美は寝息を立てていた。

そこにいたもの

「健作さん。…ちょっと来てくれない」

思いもよらぬ長居に、ようやく母も慣れたのだろう。ちょっとした用事を健作に言いつける声が、随分フランクなイントネーションになっている。

「…お義母さん、どうしました?」

ついさっき、トイレに立ったはずの母が戻ってきた。食事を終えた健作が、キッチンで一服しているのを確かめると気まずそうに声をひそめる。

「今、お客さんは来てるの?」

「いえ。さっきまで居たようですが、もう帰ったみたいですよ。…どうかしました?」

「あらそう…。おかしいわね。トイレのドアが開かないのよ。鍵が掛かっちゃってるのかしら…」

ありがたいことに、このところ明美を訪ねてくる人は日を追って増えている。といって来客用のトイレがあるわけではない家では、しばしばトイレで客と家人がバッティングしてしまうのだが、そんなことがあって以来、母は昼間のトイレを気遣うようになっている。

「あっ、それなら僕が開けますよ。でもヘンだな、今朝も閉まってたんですよ…」

背後でブツブツ言っている義母を従え、ポケットの小銭を確かめながらキッチンを出ると、ちょうど座敷から出てきた明美とぶつかりそうになった。

「あら、ごめんなさい。…あれ、お母さん? どうしたの?」

大柄な健作の影になって見えなかったが、健作の後ろに小さな体をくっつけるように母がついて来ている。

「あぁ、トイレに鍵が掛かってて入れないんだってさ。で、こいつでレスキューしようってとこ。でも、妙だよな。ここって今朝も閉まってたんだぜ。やっぱ鍵そのものがバカになっちゃってんのかなぁ」

「へぇ、ヘンなの。家は古いけどトイレは直してるし、まだ壊れる感じじゃないでしょ。…あ、ちょっと待って。私が開ける」

確かに家は古いが、娘たちの部屋を増築する際にトイレと浴室は改装していた。まだこの辺りには下水道が整備されていなかったが、姉妹の熱烈なリクエストに応えて、今は亡き父が敷地内に浄化槽を設置してウォシュレット付きの水洗トイレになっている。大抵のトイレがそうであるように、ここのドアも、内側からロックしても外側のドアノブのボタンをコインで回せば解除できるタイプのものだ。

ドアと健作の間に体を滑り込ませた明美が、解除されたばかりのドアノブを回し勢いよくドアを開け放した。

「あっ…」

「あらいやだ、なんともないじゃない。健作さん、助かったわ。やっぱり、男の人がいるって心強いわねぇ…」

立ちはだかる二人を押し退けるようにして前に出てきた母が、婿にするお約束の礼を言いつつ「もういいかしら」とでも言いたげに見返してきた。

「あっ、すみません。…明美、もう行こうぜ」

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キッチンでお茶でも飲もうと座りかけた健作を置いて、明美はそのまま廊下を歩いていく。そのまま部屋に戻るつもりだ。慌てて健作も後を追った。

居た。確かにあのとき、ドアを開けた瞬間トイレの中に寂しそうな表情の女の姿があった。健作が開けようとした直前に、何かを感じた明美が素早く開いたドアの向こうに、青白い顔をした女が立っていたのを明美は見ていた。その寂しげな女と明美は、確かに目が合った。そして目と目が合った瞬間に、女の姿は消えていた…。

別に気に留める必要は無い。健作の言うラップ音もトイレの女も、明美にとってはさして珍しい事ではない。このところ遠慮してもらえるようにはなっているが、幼い頃はもっと頻繁に現れていた雑多な霊現象の一つに過ぎない。問題は…先日現れた健作似の男に始まる様々な怪現象が、明美ではなく健作を取り巻くように現れていることだった。

手当て

「手当て」という言葉の語源には諸説ある。民間治療による「患部に手を当てる」治療行為を源とする説がある一方で、「手当て=事前に準備、処置しておくこと」の意があることから「人〝手〟を予め充〝当〟させる」から来たとする説。また、その両者という説なども。しかし、現在も相談者に文字通り「手当て」を施している真印さんによれば「指先や労宮(掌の中心部分)は、エネルギーが出る場所であり、患部に手を当てることで治癒作用が期待できるのは間違いない」という。実際に筆者も以前、真印さんによる「手当て」を経験した。「これ燃やしちゃおうね」と簡単に言いながら、何気なく真印さんが筆者の背中に回した手が驚くほど熱くなった。その瞬間はただただ驚くだけだったが、その手当て以降、筆者が10年来悩まされ続けてきた胆石発作は、まったく起きていない。

SILVA真印オフィシャルサイト