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<この物語は、ある霊能力者をモチーフにして描かれたフィクションである。>

脳裏に深く刻み込まれている。地獄の淵から聞こえて来るような不気味な声。

「おもしろい家」と言った。

この家に侵入しようとしたに違いない。そして、侵入を阻む力に驚いたのだろう。そんな力の源を探るべく、使役するモノどもを差し向けた。

「おもしろいモノ」とも言った…。

思い当たるのは黒玉だ。亜里沙に言われて健作が持ってきてくれた、あの朱塗りの黒い石。この家にまつわる秘密を知り、どうやら黒玉の存在を案じているようだ。

そして何より重要なのは、店員の姿を借りて口にした「おもしろい娘」の一言だ。

言うまでも無く娘とは、亜里沙のことを指している。あのとき、車の中に潜む明美の心を覗いた際に知られたか…。それとも、最初に子どもたちの霊を目撃したときに見つかっていたのか。どちらにしても結果は同じだ。知られてしまった以上、興味を持たれてしまったからには、なんとしても退散させるしかない…。

ひとしきりそんな話をした二人は、「全ては明日から」と互いに言い含め、眠れない夜を眠れないまま身体だけを休めるように夜を貪った。

示された勝機

『厄介事に巻き込まれたのぉ…』

『しかし、…今回ばかりは仕方なかろ。なにも、好んで巻き込まれたわけじゃないけんの。それに、仁の調べも絡んでおるで、放ってはおけんかったんじゃろう』

夢ではない。明美の中で祖母と曾祖母が語り合っている。

『しかし、玉の使い方も知らんでどうする』

『いや、銀門の開く時じゃけん。かまわんじゃろぅ』

『それにしても面白いお子じゃわい。なにも知らんで憑かれてばかりじゃ』

『ホホホ…。それよ。…見ておるこっちが気が気じゃないわい』

『聞いておろうか…』

『…見てもおろうて。あれは面白いお子じゃけん…』

眠れなかったが、眠らせてはいたのだろう。意識が覚めると、眠れなかったという自覚とは裏腹に滓のように溜まった疲れは綺麗に無くなり、なんとは無しに力のような自信のような漲るものを胸に感じた。

あれは、確かに祖母と曾祖母だった。二人は明美のことを話していた。明美たちが追い込まれている危険な状況を知りながら、案じつつも笑っていた。確かに笑っていた…。

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「健作…。起きて健作。勝てるわよ」

「ん? なんだよ、なにを朝から元気なんだよ…」

朝方まで眠れないでいた健作は、それでも二~三時間は眠れたらしく、不機嫌な顔も見せずに応えた。全く眠れないのはこたえるようだが、ほんの少しでも眠れば回復するらしい健作は、驚くほどに寝起きが良い。

「見たのよ。…もう、ちゃんと聞いてよ。おばあちゃんが出てきたのよ」

「出てきたって、夢にか」

「そう、夢に…。いや、夢じゃないかな…。もう、どっちでもいいわ。おばあちゃんとひいおばあちゃんが教えてくれたのよ」

「なにを?」

「銀門だって…。鍵は銀門よ。それと玉。あの石よ。健作が東京から持ってきてくれた黒い石」

「なんだよ、銀門ってなんなんだよ。それに、あの石ったってどうするんだ?」

「それよ、それを調べなきゃ…」

昨夜の一件以来、まるで底無し沼の水を汲み上げるような…言い知れない敗北感に苛まれていた。果たして姿形も、ましてや命すら無いモノに、何をもって抗えば良いのか? 戦わなければならないことはわかっていても、戦い方はおろか…何をどうすればいいのかわからない。そこに現れた祖母と曾祖母が「銀門」と口にした。まだ意味もわからない。それでも、銀門の意味を探って行けば、きっと何か、あの陽炎たちと戦うための重要なヒントが見つかるに違いなかった。

「明美ぃ、これになにかが封印されてるんだったよなぁ…」

起き抜けの泥水(モーニングコーヒー)を口に運んでいた明美の前に、一足先に朝食を済ませた健作が、いつの間に持ち出したのか座敷に置いてあったはずの黒玉を手に立っている。

「ちょっとぉ、勝手に持ち出さないでよね」

わざわざ、東京から持って来てくれたのは健作だ。

「…改めて見ると、確かに赤い染料が塗ってあるんだよな…」

そんな明美に構うことなく、健作は黒玉を蛍光灯にかざして見ている。

「やめてくれない! そんなにぞんざいに扱わないでよ」

明美はマグカップを置くと、健作から黒玉を取り上げて大事そうに掌にのせた。そんなつもりは無いが、それでも落としたりしていないか確かめずにはいられない。

「たしかお義父さんは、この赤い染料はなにかを封じ込めてる…って言ってたよなぁ」

「…って言ったって、一体なにが封印されているのかもわからないし…。第一、その封印をどう解けばいいかもわからないのよ。まがりなりにも封印よ、封印。まさか水道水で洗い流すってわけにもいかないでしょう」

一蹴はしてみたものの、健作が黒玉を持ち出してきたのには正直驚いていた。それは決して「ぞんざいに…」などと咎める意味ではなく、明美自身も引っ掛かっていたからで、そんな明美の心を見透かしたようで驚いたのだ。それにしても謎だらけだ。明美は、何から手をつけていいかもわからず考えあぐねていた。

思い出すだけでも怖気立つあの三体の陽炎が、どうやらこの黒玉を警戒しているらしい。そして、そんな陽炎どもを退散させるには、黒玉と「銀門」が有効だということもわかった。問題は、これまでは明美のリーディング能力を増幅させるパワーストーンとして使っていた黒玉を、いかにして武器(?)とするのか…。そして、「銀門」とは何なのか…。肝心なところが全くわからないでいる。

不愉快な悪臭

「このあいだ来とった女の人なぁ、あの人はあれから来たかえ」

その日、昼過ぎに現れた中村のおばちゃんは、顔を見せるなり嫌な話を持ち出した。おばちゃんが言う〈あの人〉とは、昨年の夏に一人娘を亡くした上村静江のことだ。気にはしていたが、といってあえて会おうともしなかったし出会うことも無かった。だから、今はどうしているのかもわからない。ただ、その後、明美が生まれ育った町で起きている一連の出来事についてわかってくると、たしかにあの母親が全く無事でいられるとは思えない。思いがけずかけられた一言に、明美はあの日鏡の中に見た少女の寂しげな顔が思い出されて胸が痛くなった。

「あれから見てないけど…。なにかあったの?」

「いや、詳しいことは知らんけどな…。なんやら、難しいことになっとるみたいやで」

「難しいことって?」

「わたしらにはようわからんけど、旦那さんも会社休んで大変らしいで。眠れんとかご飯食べんとか、それどころか目え離すと死のうとするらしいで。ほやけん、旦那さんも奥さんを一人にしておけんのやて。病院にも通いよるらしいで。眠れんとか食べられんとか、昔は贅沢病や言うたけどなぁ」

おばちゃんの言う病院とは、心療内科に違いない。いよいよ様子のおかしくなった妻を、夫が連れて行ったのだろう。もしかすると、病院通いはもっと前からだったかもしれない。

以前、自殺した人たちの情報を集めた際に奇妙に一致したのが鬱症状だった。明美も健作も、自殺者たちが生前に訴えていた様々な症状が鬱の症状と一致していると感じていた。

「おばちゃん。その話、いつ聞いたの?」

「えっなんでぇ。…昨日、農協に行ったときやけど、それがどしたんで…」

中村のおばちゃんが言うとおり、上村静江の病院通いと自殺願望が本当ならかなり危ない。犠牲者の多くが、奇妙なことを口走り始めて二週間ほどで亡くなっている。急ぎ確かめてみる必要があった。明美は、いつもは持て余すまで付き合う茶飲み話を早々に切り上げ上村静江の家へと車を走らせた。

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「うわっ。大変なことになってる…」

京子に聞いた上村静江の家は小学校のすぐ近くにあった。その昔は庄屋も兼ねていたという屋敷跡には、車庫と猫の額ほどの庭を備えた住宅が八戸も軒を連ねている。いずれも若い人たちが暮らしているらしく、花柄のカーテンや子ども用の自転車が覗く幸せそうな家が並ぶ中、『上村』と表札の掛かった家だけが異様な気配を放っていた。小さく小奇麗にまとまった家が建ち並ぶ中、その一軒が放つ強い気配が、明美の鼻腔に不愉快な悪臭となって襲い掛かる。

まるで昼ドラに出てくる新婚家庭のような、間の抜けたチャイムで出てきた男性に挨拶をすると、途端に怪訝な表情をされてしまった。

明美たちとそう歳の差は無いはずの夫だが、看病疲れとでも言うのだろう、気弱そうな内面を表にした青白い顔つきをしている。この様子では、彼自身が休養をすすめられてもおかしくない。それほど、男の青白い顔は疲れ果てて見えた。

「こんにちは~。お久しぶりです~」

いつの間に現れたのか、青白い顔をした男の後ろに上村静江が立っていた。声にこそ聞き覚えがあったがその容貌は一転し、こちらから訪ねてなければ見間違えるほど変わっている。どう変わったかといえば、…明らかに元気になっていた。

異様なる闊達

およそひと月ほど前に「娘を捜して欲しい」と訪ねてきたときは、常軌を逸していると思わせるほど憔悴していた静江が、同じく憔悴し切った男の後ろでにこやかに笑っている。笑顔もさることながら、肌の張りや瑞々しさが全く違っている。品の良い白いブラウスにサーモンピンクのスカートといった出で立ちは、知らない人が見れば病弱な夫を案じる若く美しい妻…に見えてもおかしくない。

「その節はお世話になりました。…さぁ、どうぞお上がりください」

口はおろか、その物腰までもが若やいでいる。誰かの手を借りなければ、今にも屑折れてしまいそうだった人物とは思えない。ましてや、中村のおばちゃんが言う「いよいよ危ない」ようには見えない。あの日、相談にやって来たことすら疑いたくなる、幸せを絵に描いたような若妻だ。しかし、だからといって疑念と懸念が払拭されたわけではない。それどころか、その異様なほどに闊達な振る舞いに、明美は疑いと不安を一層深めた。

通されたのは、玄関を上がってすぐの14畳ほどのリビングダイニング。リビングには、南向きの大きな窓際に置かれた大型液晶TVを中心にソファーがセットされ、奥のスペースはダイニングキッチンになっている。いかにも若い夫婦が好みそうな間取りだ。TV台の収納スペースには、『理沙・運動会1』『理沙・水泳記録会・3』と綺麗にインデックスされたDVDが並び痛々しくて目を逸らしてしまった。

「あっ、理沙ちゃんがいっぱい写ってるの。一緒に観ましょうよ?」

明美の目の動きと表情を伺っていた静江がすかさず声を上げる。

「おまえ、なに言ってるんだ。…やめとけ、迷惑だろう。そんなことより、なにか飲み物でもお出ししないか」

たまりかねたように口にした夫の声は、病人のような見た目と裏腹に随分としっかりしていて、身振りにも会社人らしい落ち着きが見て取れる。ただ、これから何を聞かされるのか、また何を聞かれるのか、突然現れた見知らぬ客が何を言い出すのか不安で仕方ないようだ。落ち窪んだ目が、落ち着きなく二人を交互に見つめている。

隣から健作が、「もういいんじゃないのか。この様子なら大丈夫だろう…」と、似合わない囁き声で繰り返している。確かに今の静江を見る限り、懸念していた憑依の影は見当たらない。しかし、その余りにも闊達な様子こそが疑わしく、またそれ以上に不気味だ。そして何より、夫が何かにたまりかねている…。このことが、静江との只ならぬ夫婦生活を顕わしていた。

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「ところで今日は、どのような…?」

職場の上司に勧められるまでもなく、ちょっと目を離せば刃物を手にする妻を見守るには仕事を休むしか手立てが無かった。そして会社を休み、やっと手に入れたマイホームで妻と二人きりの生活を始めた男は、四六時中妻から目が離せない緊張感と不気味な感覚に苛まれている。

時と場所を選ばず始まる妻の狂言。「理沙ちゃん理沙ちゃん」と、今は亡き娘の名を呼び駆け出す妻。ふと目を離した瞬間に、刃物を手にする妻。寝静まった家中に蠢く気配。そんな、モヤモヤとした得体の知れない何かに悩まされる日々に男はたまりかねていた。

明美は意を決して、先日静江が訪ねてきたこと。そして、明美がスピリチュアルリーディングなるものをしていること。更には、明美たちが帰省して以来遭遇してきた様々な怪奇現象を、出来る限りわかりやすく話した。

妻が明美の元を訪ねた辺りまでは怪訝な顔つきだった夫が、明美と亜里沙が子どもたちの霊を目撃した話しを始めると真剣な面持ちに変わり、相次ぐ子ども霊の目撃例と歌声の話を始めると、その表情は見る間に蒼ざめて行った。途中キッチンから戻ってきた静江が隣に座り、まるで世間話でも聞くように容易く首を縦に振るのを夫は煩わしそうに見ながら、それでも気を取り直して膝を乗り出し明美の話に聞き入っていた。

夫には、何か思い当たる節があるに違いなかった。

殯(もがり)

古代日本で行われていた葬送儀礼の一つ。葬儀までのかなりの長期間、遺体を棺に納めたまま安置し、腐敗・白骨化による「死」を確認する儀式。長いものだと数年間にわたる殯を執り行ったという記録もある。現代人には受け入れ難いが、それが『蘇り』を願っての行為であったと考えれば、頷けなくもない。
真印さんによれば、「大切な人を亡くしたなら、故人の様々なエピソードを語り合い、笑ってください。その時、あなたが大切に思う方は、必ずそばに居ます」という。この物語『巳午』の第1章・黄泉戸喫の冒頭に描かれた、亡き父を思い家人が語らい合うシーンを読んだ真印さんは「理想的な送り方」と感想を述べていた。
殯が持つ「死」の確認と、語らうことによる「生」の確認。現代の一般的な葬儀でも、通夜にその意味を見出すことができる。

SILVA真印オフィシャルサイト