<この物語は、ある霊能力者をモチーフにして描かれたフィクションである。>
蛇の淵までは、およそ20分の道のり。都会育ちの健作には不慣れな山道も、この数日で何度か行き来しただけあって、ヘッドライトの明かりを激しく上下させながらも物凄い勢いで駆け下りていく。
平坦な道に出ると途端に人家が迫ってくる。かつては街道筋だったこの界隈には、まるで時代劇の宿場町のような古い屋敷が軒を連ねる。昼は込み合う国道を逸れ抜け道として活躍する細い道を、忙しないブレーキングで転がるように駆け抜けて行く。
「どうしたの? もう少しスピードを緩めた方がいいわよ」
時折掠める民家の軒先を、まるでそこにあるかのように首を傾げて避けながら、たまらず明美が抗議する。
「あぁ、…もう少し離しておかないと…」
健作はしきりにルームミラーを覗いている。
「どうした? なにか、追って来てるの?」
まさかとは思ったが、明美もシートから身を乗り出して振り返ってみるが、暗闇に沈む静かな屋敷町以外の何も見えない。少しスピードが落ちた。運転席で、健作が大きく息を吐くのが聞こえる。
「どうしたの? 凄いスピードだったわよ。なにもあれほど飛ばさなくても…」
「わかってるよ。…でも、さっきまで、カーブを曲がるたびに黒い影が追って来るのが見えてたんだ。…どうやら…見えなくなったけどな」
明美の遺伝子を継ぐ亜里沙とは違い、健作には特別な力が発動する気配も無かった。ただ先日のファミレスで、ついに健作も陽炎の姿を目にすることとなったのだが、あれは陽炎が戯れに姿を見せ付けたに過ぎない。それでも、一旦姿を見せたアレと健作の波動がどこかで同調するようになったのだろう、今は追い駆けてくる影が見えたと言う。そういえば、祖母の声を聞いたとも言っていた。どうしたのだろうか? まさか、この特殊な状況が眠っていた能力を顕在化したのだろうか? そんなに都合良く発動するとは思えないが、それでも、ただの思い込みとは思えなかった。
蛇の淵
国道に出ると、さっきまでの緊張感が嘘のような、当たり前の車の行き来がある。家族で外食にでも出掛けたのだろう、後部座席に三つ並んだ後頭部を揺らすワゴン車の後を走りながら、健作はこれから始まろうとしている現実離れした戦いを忘れてしまいそうだった。助手席では明美が、左のポケットをしきりに撫ぜている。そうでもしていないと、自分たちが置かれた現実(?)から意識がかい離しそうなのに違いない。
いつしか車もまばらになり、峠を走る国道の抜け道となる細い登り坂に差し掛かった。カーブを曲がるたびに、人家がまばらになってくる。山肌にへばりつくように拡げた畑の石垣や雑木をヘッドライトが舐めていく。
『蛇の淵』の文字が目に入った。いつものように、朽ちかけた看板の側に車を停める。
国道を外れ山道に入ってから、二人はすっかり無口になっていた。口を開くと、これから始まる戦いに対する怖れを声に出してしまいそうで、車を停めてもまだ明美は何も言おうとしない。何も言わないまま、車の四隅に盛り塩をしている。
さっきの山寺と違うのは、健作も一緒だということ。健作が、一人で残っているには危険過ぎた。今度は健作も、側に居て事の一部始終を見ているしかない。加えて今度は、いざとなれば誰かの介添えが必要になるかも知れない。果たして健作が、明美の助けになるかはわからないが、それでも今度は傍に居てもらいたかった。
晴れ渡った冬の夜空は降るような星が姦しい。家を出たときは、月はまだ東に傾いていたが、今はほぼ天頂にある。満月の端が少し欠けているのは食が始まっている証しだ。そしてそれは、すでに銀門が開き始めていることを告げていた。
看板脇の杣道を辿って川原に降りた。くるぶしの辺りまで、うっすらと白い靄に埋もれている。川原全体が、石鎚山系から滲み出した神気に満たされていた。
二人の足元に、明美が小石を拾い上げては呪文を唱えながら規則正しく並べている。健作は始めて目にする光景だったが、それがなにがしかの法則に則って配置されていることは淀みなく並べるその手付きでわかる。
何の変哲も無い小石が五つの方角を示し、それを明美が人差し指と中指で作った剣で宙になぞらえると、二人を囲むように綺麗な五芒星が浮き上がった。
「…これでいいわ。じゃ、始めるわよ」
言うなり明美は、黒玉を取り出し祝詞をあげ始める。初めて耳にする祝詞だが、朗々と流れ出る言葉の中に、山を愛で川を愛でる文言が聞き取れる。祝詞に合わせるかのように律動する黒玉から、山から滲み出た神気よりも濃い乳白色の光が八方へと伸びて行く…。
「後はあの子が、子どもたちの霊を連れて来るのを待つだけよ」
「大丈夫か? 奴らは追って来ないのか?」
健作にしてみれば、あれほどアクセルを踏ませた陽炎たちが、黙っているとは思えなかった。それでなくとも、今こうして安穏と子どもたちの霊を待っていることすら思いの外なのだ。
「わからないと思うけれど、アレはもうここに居るの。凝っと私たちを見てるわ。でも、簡単には入って来れないし、まだ出て来ないわ」
得心のいかない答えだったが、今はそれを正すときではない。なにせ健作は、ともすれば明美の足枷にしかならない、オブザーバー的なサポーターでしかでない。出来ることがあるとすれば、戦いの鍵を握るとされる月食の進捗を見守り、逐一明美に伝えるくらいしかない。そんなことを考えながら、健作は空を見上げていた。
天頂近くの少し南に傾いだ辺り、おうし座の上でアルデバランを従えた三日月ほどに欠けた月が二人を見下ろしている。理沙ちゃんの霊を解き放ってから、どれほどの時が過ぎただろうか。健作は、食の進み具合からおよそ30分と見当をつけた。
明美の緊張が伝わってくる。と思うと、微かに、健作の耳にも子どもたちの声が、まるで歌うような泣き声が聞こえてきた。
“…三で酒造って 四で世の中善いように 五ついつもの如くなり…”
「私が良いと言うまでここから出ないでね!」
と、二人の周囲に描かれた五芒星を指差し、明美が諸手を天にかざした。手には黒玉が握られている。途端に、河原を覆う木立がザワザワと音を立てて激しく揺らぎ始めた。
始まった。
決戦
冬の夜空に浮かんだ金色の真円を、赤黒く不気味な影が覆い尽くそうとしている…。それはまるで、闇の支配に屈して斃れた戦士のように、血に塗れた赤い姿で二人の頭上に覆い被さって来る。気が付くと、あれほど煌びやかだった星々が姿を消している。
漆黒の天空に、暗黒へと通じる赤黒い口腔が不気味に浮かんでいる。
銀門が開いた。
小石で描いた結界の中で、明美が両腕を高く掲げている。そして、赤黒い月を見つめる健作が視線を落とすと…。なんと二人の足元に、小さな白い靄の塊が二つ。きっと、この小さな靄は、明美の祖母と曾祖母に違いない。
「玉に黒白有り! 生は魔を祓い、死は邪を滅する!」
まるで岩でも落ちてきたような、脳天にまで響く野太い男の声が健作の耳を圧する。
いつの間に現れたのか、夜目にも赤い、頬に不気味な文様を刻んだ大男が、明美の両腕にその手を添えている。即座に健作は、それが〈口の大きな男〉だと理解していた。
明美の祖母と曾祖母に加えて〈口の大きな男〉までもが、これから始まる、明美が生まれて始めて挑む陽炎の調伏に加勢してくれている。
男の声に呼応するように、明美が黒玉の向きを変えると、頭上高く掲げた指の隙間から光の矢が迸り、辺りの闇を引き裂いた。と同時に、大気を震わせ何かが繰り返し、二人の周囲に張り巡らされた何かにぶつかって来るのがわかる。
踏ん張ってなければ立っていられない程の激しい振動に、健作の鼓膜はギリギリと悲鳴を上げる。耳を聾するわけではない。決して音ではない振動が、夜気を圧して迫ってくる。どうやら明美は、すぐそこにまで近付いてきている理沙と子どもたちの霊を陽炎どもから守ろうとしているようだ。そして、そんな明美を倒そうと、陽炎どもが悪意を剥き出しに結界を破ろうとしている。
「まだじゃ、まだ子らは戻っておらぬ」
「もうすぐじゃ。すぐそばまで来ておるぞ」
今度は老婆の声がした。健作の耳にも、はっきりと子どもたちの歌声が聞こえる。
明美は、聞き慣れない、普段とは違う真言を唱え続けていた。
“おん かかかび さんま えい そわか。おん かかかび さんま えい そわか。おん かかかび さんま えい そわか…”
それは、クシティ・ガルバのマントラ。弱き者を加護するといわれる地蔵菩薩の真言だ。
子どもたちの歌声が大きくなり、張り詰めた大気を震わせるほどに鳴動したかと思うと、明美の手にある黒玉がひと際激しく輝いた。
「今じゃっ! 滅せよぉ!!」
祖母か曾祖母か、どちらともつかない皺涸れた声がするや、明美は瞬時に黒玉を裏返した。と同時に、明美の口からは夜を圧する大音声で光明真言が溢れ出し、それまで耳を弄するほどにこだましていた子どもたちの唄声が掻き消された。
健作の目にそれは、まるで夜を引き裂こうとする、ドス黒い闇のように見えた。明美の唱える真言は、闇を夜から引き剥がそうとし、闇は引き剥がされまいと抗っている。何も聞こえていないが、それでも耳を覆って蹲りたくなるような、凄まじい戦いが繰り広げられていた。
肩を小刻みに震わせながらも、瞑目したまま必死に唱える光明真言が三度目を数えると、ついに闇よりも暗い漆黒の影が三つ引き剥がされ、明美が捧げ持つ黒玉に吸い込まれていった…。途端に谷は静寂に包まれる。
見ると明美は、糸が切れた人形のようにその場に蹲っていた。
幕切れ
心地良い瀬音が聞こえてくる。山間の谷に横たう夜は静かで、ただ違うのは、鼻を抓まれてもわからないような深い夜の川原に、呆然と二人が立ち尽くしていること。おそらくは、その役目を終えたのだろう。すでに、不気味な文様を頬に刻んだ大男の姿は無い。
月はまだ赤い。銀門はまだ開いたままだ。
赤銅色の暗い月の姿を確かめた明美が、淡いオレンジ色に明滅を繰り返す黒玉を取り出した。すると蹲っていた二つの靄の塊が徐々に人の姿を成し、やがて二人の老婆が現れると明美の手から黒玉を取り上げた。
「さてと、まだ終わっておらんのぞね。…玉には黒白あり。小娘さんの裏には陽炎どもが捕り籠められたままじゃ。これらを滅してやらんとな。小娘さんも成仏できんぞね」
さほど大きくも無い丸石の上に正座した二人の老婆が何ごとか呟くと、真っ黒い筋が幾筋も、淡く明滅するオレンジ色に照らされて細く長く吐き出されるのが見えた。そうして最後に、それまでの黒い筋とは違う塊が三つ。「ギリッ」という金属的な響きと共に吐き出され、何度も何度も、硬く凍てついた夜の大気に叩きつけられながら、音にはならない叫喚を残して赤黒い月に吸い込まれて行った。三つの陽炎を呑み込んだ赤黒い月は、まるで血を滴らせた口腔を覗き見るようで不気味だ。
しばし我を忘れて夜空を見上げていた健作の耳に老婆の声が聞こえる。
「呆けておる場合じゃないぞえ。…後は明美の手で、小娘さんを成仏させておやり」
老婆の声を信じるならば、まだ黒玉の中には、理沙ちゃんと子どもたちの霊が守り隠されたままだ。精根尽き果てて蹲った明美を抱き起こすと、健作に向かって力無く笑ってみせた。
「…さぁ、この子たちを帰してあげなきゃね」
と明美は半身を起こし、傍らの石に黒玉を載せ何事か唱えている。すると黒玉は、再び柔らかい明滅と微細な振動を繰り返し、やがて谷にかかる神気よりも白い靄のような小さな塊を幾つも宙に吐き出し始めた。
吐き出された白い靄は、しばらくの間二人の周囲を踊るように漂い、やがて上流を目指して神気の靄を遡り姿を消した。その白い靄が姿を消す間、健作の耳にはずっと子どもたちの数え歌が聞こえていた。
そして再び川原に目をやると、すでにそこに老婆の姿は無かった。
果たしてあの夜の出来事は現実なのか? その目で見、その耳で聞いたにもかかわらず、当の健作にはリアリティが全く無かった。なぜなら、全てが余りに刺激に過ぎていて、目撃者である健作にすらとても現実とは思えなかったからだ。
後日、明美に一連の事件の顛末を問い質すと、やはり静江が行った裏巳午が全ての始まりだった。それが娘を亡くした母の執念か、はたまた禁忌とされる秘儀の力なのかは分からないが、まだ成仏できないでいた理沙の魂を呼び戻したのは間違いないらしい。そうしてコノ世に彷徨い出た理沙の魂を、あの世へ導くべく現れたのが子どもたちの霊だった。あの子ども霊は、幼い魂を庇護する地蔵菩薩の眷族であり、陽炎どもは、そんな子ども霊を妨げ害する邪悪な存在だったらしい。
陽炎どもにしてみれば、理沙の魂を迷わせるのは勿論のこと、そんな理沙を成仏させるべく現れた地蔵菩薩の眷属を害する事の方が重要だったに違いない。なぜなら、あの子ども霊が地蔵菩薩の眷属である限り、陽炎どもとの戦いは未来永劫続くわけで、故に理沙の魂を三重の塔に閉じ込めてまでして子ども霊をおびき寄せようとしたらしい。
そんな邪悪な陽炎から逃げ惑う理沙の魂と、成仏させるべく理沙を追う子ども霊を何人もの人間が眼にしたのだ。不幸なことに、目撃者の何人かが陽炎にまで遭遇し、強烈な呪詛の念に冒され自死を選ばされてしまった…。
これが、明美の故郷を襲った一連の不幸な事故のあらましだった。
そうと知った明美は、理沙と子どもたちの霊を守るのと同時に、陽炎どもと戦う覚悟を決めたのだ。
終わってみれば、健作はまるで長い夢を見ていたような、いまだ夢見心地の中に居た。と同時に、忌まわしい陽炎を銀門の彼方へと追い祓い、解き放たれた理沙と子どもたちの霊が谷の上流…霊峰の懐へと消える後ろ姿を見送りながら明美が口にした言葉が忘れられないでいた。
「これでやっと、理沙ちゃんもお母さんと一緒になれるんだよな」
「…駄目なのよ。二度とあの親子は会うことはないわ。だって、それが輪廻の理。可愛そうだけど仕方ないの…」
人の世にも、アノ世にも、そして転生にすら犯しがたい定めや理がある。もう二度と会うことが出来ないという哀しい事実は、自らの死をもってしても変えることは出来なかったのだ。
果たして、今回明美が解明した事件と父の死が、一体どのように関係していたのかしていなかったのか? 現在も不明なままだ。それでも明美は、そんな不確かな結論ですらも、父や祖母との係りが一層深まったことに満足していた。
恐れと畏れ
人は、出会いたくない現象や対象を恐れ、恐怖する。転じて、身分の上下や力量・能力を畏れ敬い、またかしこまる。まるで言葉遊びのようだが、それが目に見える現象や存在で有れば対処の方もあるが、目にすることはおろか、存在すらも確認しようのないモノとなるとただ怯えるしかない。しかし私たちは、「恐れ」と「畏れ」が異なる意味を持つように、同じく見えざるモノにも異なる存在理由があることを知っている。果たしてソレが、「恐れ」るべきモノなのか、「畏れ」るべきモノなのかを判別し、正しく対処するにはどうすればいいのだろう? 人知を超えた存在を識る。ましてや対処法など分かりようが無い。そんな問いを真印さんに投げかけると「まず、自らを高い霊格、神格を持つと称するような人は警戒すべきです」と教えてくれた。さらに「何か妙に具体的な指示を出すような人も危なっかしい。そういう人が目の前に現れた場合は、決して真に受けず、頭を低くしてお帰りいただくのが一番です」という。では、私たちが真に畏れるべきは、どんな存在なのだろうか。「正しくお導きくださる方は、自らを大仰に名乗ることも、明確に何かを命じたりもしません。抽象的な、あくまでもこちらの気付きを促すメッセージだけ、です。しかし、ひとたび間違いを正す時は、本当に厳しい声で叱られますよ」と真印さんは微笑んだ。「恐れ」と「畏れ」。この極めて困難な判別も、スピリチュアリズムに潜む大きな陥穽の一つだ。