――カメラマンとして、事故のときからすると、自分のめざしている中ではどれぐらいまで来てる感じが?
林 めざしてるところですか? 収入としてとか、そういうレベルだとしたら、ちょっと相当ヤバいですけど。ただ、いまこうやって本(『生きるために人は夢を見る。』文:林建次・伊藤史織)を作ったことで、何となく見えたというか、撮るときに感じてきましたね。ていうのは、ボクサーたちを撮り始めたときに、一番思ったことが、彼らがバンテージをまいたり、紐をシューズに結んだりしていって、減量してこんなになっているとき、それが儀式のようで。その儀式自体、僕には祈りのように見えたんですよね。
で、シャドーボクシング始めるじゃないですか。こうやって目をつぶって、パッとやっているのが、その瞬間、瞬間が、全て僕には祈りのように見えて、なんて美しいんだろうと思ったんですよ。
結局、それで初めて試合に行くわけじゃないですか。バンテージをまいてブルブル、ブルブル、みんな怖いですよね、震えている。負けるのが怖いからですけどね。ギリギリのところで、彼らがリング、あともう数分後に上がる直前、4回戦の子だけど、そこで彼が無意識でしょうけど、ガッと座って、パッと祈っている。無意識じゃないですか。それを見たときに、ババーっと写真を撮ったんです。その祈りっていうか、極限状態の祈りみたいなものを、僕はすごく感じてたんですよね。
それを見たときに、あの本でもそうなんですけど、えてしてドキュメンタリーって、メインの写真ってどこかにポンと、祈ってるシーンが入っているのがあるんです。そこが、僕が一番求めて撮ろうとしたっていうのが、それがわかって。ああ、そうだと思って、祈りっていうか、そういう極限の状態を僕は共有することで。その瞬間って、僕のからだ、今もすごい痛みとかありますけれど。そういうのないですか?
吉田 そうですね、脚とかが痛くなりますね、冬とかね。
林 夜とかでもそうだろうし。自分がそういうところに求めていくことによって、同化することによって、痛みを感じることがなくなる、感じられなくなるっていうか。その美しい現場っていうか、祈りの現場に僕が入ることで、その形が、結果が写真だったんだろうなって。だから、いまボクサーもだいたい、縁で撮らせてもらったりした人、ほとんど引退して。あとノリ君(大嶋記胤選手)、大嶋君とノリ君
とか、あと34歳で復帰した子とか、まあ3~4人ぐらいなんですけど。その子らは、たしかに終わりまで撮っていくっていうのはあります、看取るっていうか、ありますけど。
いま僕、ここ3年、演劇のドキュメンタリーっていうのに入ってて。実は、今度、来月入稿して、今年中には、また写真集が1つ出るんですけど。そこの演劇のドキュメンタリーも、ガーっと入っていくんですけど。その女優さんとか役者さんたちが、最終的には舞台の袖から出て行く瞬間を撮っていくわけですよ、僕は。それが、ある種、彼らも何カ月とかかかって、訓練じゃないけど、稽古をして、稽古をして。やっとその舞台に立つ。どんなベテランの女優さんでも、初日はものすごい緊張するわけですね。そこの中で、こうやってやるんですけど、出て行く直前。それがまた、ものすごく美しくて。僕はものすごく美しく感じていて。ある種の祈りだったんですけど。
ボクシング、いま、お芝居がなんだかんだってやってて。なんか、そういうところに行き着けるようなものを撮り始めようと。これから、やっていこうかなっていうのがあるんです。
――それは何か、どこかの劇団とか。
林 そうですね。劇団M.O.P.(東京都中野区)っていって、同志社で結成された学生演劇から始まったんですけど。毎年、紀伊國屋ホールとかでやっています。マキノノゾミさんっていう、演劇界で相当すごい人だったんですけど。たまたま、定食屋で出会って。
――定食屋で会ったの?
林 そう。近所の定食屋で出会って。いろいろ顔を合わせてるうちに、その縁で。ゲネプロ(ゲネラルプローベ)ってあるじゃないですか。その仕事をちょっといただいたときに、お芝居の現場を見せられて、彼らが本番前っていうか、通し稽古をするんですけど、そのときに思い思いに、役者さん個々が台詞を持ったり、「ああー」とか、段田安則さんとか、そこらへんの人たちが、実にストイックにやってるわけですよね。その現場っていうのは、僕にしてみれば、ボクサーがリングに上がるあれと、まったくイコールで。物事集中して、1つのものに向かっていくっていうことに対して。これは絶対撮りたいと思ったんですよ。それでマキノさんに、ちょっと仕事の範疇を越えた、もっと深いところで、僕は撮りたいとお願いをして。じゃあ、うちの劇団があるよっていうことで、そのM.O.P.を、2007年から毎年、毎年、撮り始めたんですね。それがまあ、来年解散するんで、結局二十何年やってたんですけど。
――劇団が?
林 そうです。だから、そのタイミングで、いま本を作ってるんですけど。そういう形の、
ドキュメンタリーでありながらも、祈りのシーンがメインだったりとかっていうような。僕は、前のボクシングの本もそうですけど、そういう形になっていて。
なんか、自分の中に導かれるような感じなところも、すごく感じているんです。
――なんか、そういう真剣勝負のすれすれじゃないと、自分の生き方というか、生命線をいま感じられるものがないのかな。
林 そうなんですかね。ボクシングは、もう麻痺しちゃってるんですね、僕の中で。もう長いこと、同じ歳の選手たちが一緒に生きてきた、同じ緊張……。もういまは、ずいぶん下で、自分の息子的な感覚で見て。だから、あのときのテンションではもう見れないし。だから自分を一歩ステップアップしないといけないって思ってて。その流れで、いまドキュメンタリー取材を、この3年間撮らせてもらって。でも、それも3年経ったら、向こうもだいぶ慣れてくるから、いい意味で仲良くなるけど、悪くなるとなあなあになっちゃうところもあるし。最初、僕が入ることは、異物じゃないですか、どう考えても。こんな近くで撮っていて、もうどけっていう話ですから。でも、それもクリアしてしまったら、もう次は、来年ちょうど終わる。じゃあ、次、何をやろうかって。だから、また、求めようと思っているんです。祈りっていうのは、ものすごいテーマであって。
神社にも、よく行く機会があったんですよね。いろんな神社にちょこちょこ……、そんなにいっぱい行ってないですけど。結構衝撃を受けた神社があって、奈良の石上神宮(いそのかみじんぐう)に、たまたま行ったときに。神社の礼儀作法とかって、端っこから入って、一礼して入っていく。真ん中は神様が通る場所っていう形で、僕もこうやって普通にただ、
ぼんやりしてたんですけど。地元の人か何かわからないけど、入るときにいきなり土下座して入ってきたんですよ。ダーっと入って、神棚の前でガーっと土下座して、夫婦で、「奈良のどこそこに住んでます、どこそこと申します」って始まって。「新年のご挨拶に参りました」みたいなことを言ってるんですよ。うわー、これ、なんだとか思って。これもお祈りの1つなんですよね。要は、何をお祈りしてたか、全部聞いたんですけど。べつに大金持ちになりたいとか、そういうことじゃなくて、去年1年無事に自分の家族、娘たちが平和に過ごせてありがとう、今年1年もそうでありますようにと。
僕にとっては、またちょっと美しく見えたんですよね。なんか、お祈りするっていう行為が。だから、そういうところも何か……、僕は一緒に体感しながら、それを何か撮っていきたいなっていうのを、すごく……。まだ、ぼんやりなんですけど。
――昭和の頃は、おばあちゃんと神社に行って祈るっていうことが、すごく普通だったのが最近、なくなってきた中で、アジアとかを旅すると、やっぱり……。アジア圏っていうのは、祈るということに対して、真摯で。キリスト教とかイスラム圏とは、また違ったものがあるよね。
林 そういうのって、あるかもしれないと思って。
――祈るということに対してのね、手を合わせる、その祈りというか。いま、いくつになったんでしたっけ?
林 僕? 39歳(笑)。
――もうすぐ40。
林 そうですね。いい歳こいてますけど。