image

8月12日に、四国電力は愛媛県にある伊方原発3号機を再稼働させました。これで、国内で運転している原発は、鹿児島県の川内原発1・2号機を含めて計3基。奇しくも、川内原発が再稼働したのは昨年8月11日。ちょうど一年後に伊方原発が再稼働することになってしまいました。

 

日本で一番再稼働させてはいけない原発のひとつと言われているのが、この伊方原発。その理由は土地の特性にあります。この原発があるのは、四国最西端に位置している佐田岬半島の近く。この半島とほぼ平行に、最大級の断層帯である中央構造線が走っていて、南海トラフ巨大地震の想定震源域の近くでもあります。また、このあたりは日本三大地滑り地質でもあり、非常に危険な地域です。

 

佐田岬半島から瀬戸内海を挟んだ向こう側は九州の大分県です。もし万が一大地震が発生して原発事故が起きて、地滑りによって避難ルートが遮断されたら海から逃げるしかありません。しかし、原発付近には四十の集落があり、約五千人の人々が住んでいます。これだけの人数が乗船できる船を、国や四国電力は用意してくれません。伊方原発の再稼働は、住民の安全や命を無視した横暴なものだと言えます。現在、松山と大分と広島の各地方裁判所で運転停止の仮処分を申請しているので、司法がまともな判断をくだして止まることを祈るばかりです!

 

原発のことを考えるときもちがどんよりしてしまいますが、映画「日本と原発」「日本と原発4年後」の監督を務めた河合弘之弁護士の講演で、河合さんがおっしゃっていた言葉がいまだにわたしを勇気づけて奮い立たせてくれます。

image

image

それはちょうど川内原発二号炉が再稼働した頃だったのですが、それはこのような言葉でした。

 

〝原発がひとつふたつ再稼働したからといって、落ち込む必要はありません。動いたものはまた止めればいいのです。一喜一憂していてはいけません。大切なことは常に希望を持ち続けることです〟

 

7月に参議院選挙がありましたが、そのとき同時に鹿児島県では県知事選も行われました。川内原発停止を公約に掲げていた三反園氏が当選したことは大きな希望です。このようにして、ひとつ原発が動いたら必ずひとつ止めるというモグラ叩きを繰り返して、粘り強く闘っていくことがしばらく続きそうです。選挙結果では、このような嬉しい結果がある一方で、原発再稼働を推し進める自民党を破ることができず、落ち込んでしまう人が周りで続出しました。これからの日本がどうなってしまうのか怖くてたまらない…と、不安と落胆と猜疑心で頭や心の中が占領されてしまっているように見えました。

 

日本では「政治が変わらなければ、国や社会は変わらない」という考えがとても強いと感じます。この根強い意識は、知らず知らずのうちに刷り込まれてしまった悪いグリッドのひとつ。わたしは慶應義塾大学法学部政治学科を卒業している者なのですが、政治を勉強した者として言えることは、政治を介さずとも世の中や国に影響を与え、革命を起こさずとも抜本的に社会を変えるチカラが、わたしたち市民ひとりひとりに備わっているということです。オフグリッドな生き方を選択することもそのひとつ。政治的アプローチだけに囚われず、新しい視点や取り組みを通して、それぞれがベストだと思う自分なりの国づくりをしていくことが何よりも重要です。マハトマ・ガンジーの言う、「世界を変えたければ、あなた自身が世界に望むような『変化』とならなければならない」という言葉の通りですね!

 

この国で大きな原発事故が起きてから5年半。事故の教訓を生かすことなく原発が再稼働してから1年。原発のない社会を望んでいる人たちにとってはもどかしく苦しい状況が続いていますが、このあいだに自分自身に『変化』を起こした人はどのくらいいるでしょうか。国や企業に「NO!」とか「反対!」という言葉を上げ続けることも大切ですが、一人ひとりがその身をもって暮らしレベルで体現することも同じくらい大切です。アンペアダウン、家電の断捨離、電力自給キットを導入して少しでも電氣エネルギーから自立する、思い切ってオフグリッドにしてみるなど、できることに目を向けてそのカラダを通して実践してみる。やってみるとスッキリしてきもちよかったり、楽しかったり、やみつきになるほどはまってしまったり。それは輝かしい成功体験であり、暮らしや人生に光がもたらされたことになります。一人ひとりのそうした光輝く成功体験が同時に積み重なっていくことで、原発という闇に打ち克つことができるのだとわたしは信じています。原発稼働から一年経ったいま、改めて声を大にして伝えたいこと。それは、一にアクション、二にアクション、三四アクション、五にアクション!遠回りに見えてこれが一番の近道だということです。

関連カテゴリー: