image

 

来年3月で、原発事故から6年が経ちます。未曽有の被害をもたらしたあの事故から、もうこんなに時間が経つのですね。一向に解決しない福島原発の廃炉処理、除染で生まれる汚染土やゴミの山、甲状腺がんなどの健康被害、終わらない避難生活など、さまざまな問題が未だに山積みとなっています。どんなに月日が経とうが、国と電力会社とわたしたちは力や想いをひとつにして、未来に負の遺産を残さないように、粘り強く根気強く取り組んでいかなければなりません。

 

しかしながら、そういう意識をもって日々を過ごしていないと、月日という時間は風化をもたらします。そして、その時間の持っている魔力を、国や電力会社は逆手にとって巧みに利用して、原発事故などまるでなかったかのように振る舞います。そのひとつが、来年3月末をもって完全に打ち切られる、自主避難者の避難住宅無償化です。

 

先月10月31日の東京新聞では、この支援打ち切りについて、社説で取り上げていました。

 

image

この記事では、住民の帰還を促す今回の打ち切りについて、除染が進んだといっても放射線量は下がりきっていないことや、故郷の家もそのままでは住めないことを指摘しています。そして、住まいという生活基盤を一方的に奪うことへの疑問や、原発事故を招いた国が率先して支援すべき責任について投げかけています。

 

また、11月15日に発売されたビッグイシュー日本版最新号でも取り上げられています。

 

image

image

この記事からは、各地で相次いで開催されている、打ち切り撤回を求めての反対集会の様子や、自主避難者の方々の苦労がリアルに伝わってきます。安寧に暮らしていた場所が突如危険な地となり、その後約6年間ものあいだ転々と住まうところを探し続けた日々。ようやく地域に慣れてコミュニティができた時に、支援打ち切りによって再度の転居を強いられるリスク。その辛さを想像すると、胸が苦しくなりました。

 

本当に大変な人が救われない現状を知れば知るほど、わたしたちの税金や支払っている電氣代を、こういう問題を解決するために使って欲しいと心から願います。と同時に、2020年開催予定の東京オリンピックの不要性をつくづく感じます。新国立競技場の3000億円という莫大な建設費が問題になりましたが、あのようなお金があるなら被災者の方々の支援に回すべきだと思いますし、選手村の豪華な滞在施設の構想図を見ると本末転倒だと思います。

 

image

狭い仮設住宅での生活を強いられている方々、自主避難をしてギリギリの生活を送っている方々、公営の避難用住宅の入居を求めて何度も抽選に応募しては叶わず苦労をされている方々。6年ものあいだ、国は多くの被災者に手厚い支援を用意せず、このような状況に追い込ませているにも関わらず、たった2週間のオリンピックの宿泊施設のためにはおカネを惜しみなく使う。わたしにはこのことがどうしても理解できないのです。

 

今年6月、イタリアのローマで初めての女性市長となったビルジニア・ラッジ氏は、2024年の夏のオリンピック招致について反対の立場を明らかにして、正式に立候補を取り下げる見通しを立てました。この英断に、ローマ市民から拍手喝采が起きたそうです。ラッジ氏は会見で、オリンピックの開催には税金が使われることを指摘して、市民や国民の借金を増やすことや、スポーツを理由に市内に大量のセメントを流し込むことはしたくないと説明しました。

 

このことについて取り上げた日刊ゲンダイの記事では、同じようにオリンピックに反対していたローマ市民の声を、次のように紹介していました。

 

「1960年のローマ五輪の借金がまだ残っているのに、これ以上借金を重ねてどうするんだ!」、「交通渋滞も激しく、ただでさえ混乱している街に、これ以上混乱の種を持ち込まれるのはまっぴら」、「五輪で建設される施設は市民の生活と無縁のものばかり。それなのにまた税金が上がるなんて許せない」。オリンピックに浮かれ立つことなく、冷静で賢明な決断をしたローマの市民と市長を心から尊敬します!

 

東京オリンピックを推進する立場の人たちは、日本の経済回復や被災地の復興を主張していますが、果たして本当にそうなるでしょうか?建設ラッシュとなってゼネコン業界は儲かりますが、国民や被災者とは直結していません。なにより、たくさんの放射性物質が降り注いだこの東日本で、競技場や道路などの建設をすることは危険だと個人的に思っています。土壌に沈んでいた放射性物質が地上に引き出されて舞い上がる可能性も否めないからです。また、道路拡張のために都内に生きる樹齢100年を超えるイチョウなどの街路樹300本が、たった2週間のオリンピックのために伐採されてしまう計画も、胸が引き裂かれそうになります。

 

わたしの目には、オリンピックと原発は全く同じ構造に映ります。懐をおカネで潤すことのできる一部の人たちが、彼らの意のままに動かし、自然などの命は軽視され、終わった後の後始末はわたしたちに押し付ける。東京オリンピックが終わった後は、原発事故が起きた後のように、こんなものやらなければよかったと思うことになるかもしれません。今からでも返上できないものでしょうか。新都知事の小池百合子氏が、ローマ市長ラッジ氏のような女性だったらなあ…と考える日々です。

関連カテゴリー: