「1987年にミュージカル『レ・ミゼラブル』の一般公募で合格してデビューした際、お世話になっていた、ゴダイゴの多くの曲の作詞を手がけた奈良橋陽子さんが事務所を立ち上げてくれたんです。朝ドラのオーディションもその流れで受けたのですが、倍率も高く、受かるわけないと思っていました」
こう語るのは藤田朋子さん(59)。オーディションは複数回に及んだ。
「1回目は、名前を言って、髪を上げておでこを見せるくらい。5回目くらいのカメラテストでは、上が白、下が黒の衣装を用意するように言われていたのですが、聞き間違えて、上下白に……」
しかも、スタッフからは「タマちゃん、黒のスカートじゃないんだ」と言われた。
「たぶん、玉川学園出身だからタマちゃんと言われてたんでしょうけど、自分の名前で呼ばれないのだから、これは落ちたなと覚悟しました」
ところが、最終面接まで残った。
「どんな両親か、など家庭のことを聞かれる会話の流れで、私の写真が印刷されたリーフレットを見せられ『あなたに決まりました』と告げられたんです。『明日、記者会見します。それまでは家族にも知らせないように』とくぎを刺され、その日は裏口からタクシーで家に帰るように言われるほど、徹底した秘密厳守ぶりでした」
共演者は「君がやりやすい人を選んだよ」と言われていたように、みんなが優しかったという。
「お母さん役の丘みつ子さんはいつも元気で、撮影が終わるとスニーカーに履き替えて、ジョギングで帰宅。スタジオでは一緒にストレッチをしたりしました。船越(英一郎)さんとは休憩時間に食堂に一緒に行ったりして、『藤田、野菜から食え』などと芝居以外のこともアドバイスしてもらいました」
船越演じる海軍少尉と、街でバッタリ出会うのが、最初の共演シーンだった。
「だから役作りのために、前の日に初めてお会いしたときも、目を合わさずにごあいさつしたんです。それでも船越さんはド新人の私に、『(藤田はこうしかできないのなら)仕方ないな』って苦笑していらっしゃいました」
ベテラン勢のサポートもあり、平均視聴率39.1%、最高視聴率50.6%と大きな反響に。
「みなさんが名前を覚えてくださり、今でも俳優としてやっていけるのは、朝ドラのおかげです。でも撮影中は、NHKの受付の方に顔と名前を全然覚えてもらえず、毎回『どちらへ?』『何しに?』と呼び止められていたんですよ(笑)」
『ノンちゃんの夢』(NHK・1988年)
戦後の混乱期に、「女性のための雑誌」を作りたいとの夢を抱く結城暢子(藤田朋子)の物語。女性の社会進出が困難だった時代に「ガールズ・ビー・アンビシャス」と明るく前向きに新雑誌創刊を果たし、昭和最後の朝ドラにふさわしい人気作に。
【PROFILE】
ふじた・ともこ
965年生まれ、東京都出身。朝ドラで一躍人気を博し、『渡る世間は鬼ばかり』など多くのドラマ・映画で活躍。11月1日から上演される舞台、タクフェス第12弾『夕-ゆう-』に出演。