「美智子さまは、皇太子妃時代から雑誌『暮しの手帖』を愛読されていました。とりわけ編集長の花森安治さんが描く表紙画がお好きで、’78年に花森さんが亡くなった後も、作品展にお忍びで足を運ばれることがありました。ある会場では、暮しの手帖社を創業した大橋鎭子さんが、ご案内したことがあったとか。“逸話”の多い花森さんですから、思い出話に花が咲いたことでしょう」(美術専門誌の編集者)
現在放送中の連続テレビ小説『「とと姉ちゃん」(NHK)は、4月スタート以降、常に高視聴率をキープし、ヒロインの人気もうなぎ上り。この物語は、『暮しの手帖』を創刊させた、大橋鎭子さんの人生をモチーフにしている。ここで、時代を変えた“女性社長”と時の皇太子妃との知られざる交流を探ってみたい。
大橋鎭子さんが始めた連載に「キッチンの研究」(’54〜’63年)がある。実例を紹介しながら使い勝手のよい台所を考えるという企画の理念は、こうだ。
《台所は 暮しの工場です/台所は 暮しの心臓です そこで 暮しをうごかす力が作られ/そこから 家中みんなにゆきわたり そして また そこへかえってきます》(『「暮しの手帖」とわたし』より)
皇室ジャーナリストは、この家庭の中のキッチンという場所が、2人の大きな接点になったのではないかと話す。
「3歳で親元を離れ乳母の元で育てられた陛下のお寂しい幼少時代に胸を痛めていた美智子さまは、“普通の家庭のぬくもりを”と、’61年、新しい東宮御所に小さな台所を作られています」
当時は“台所革命”ともてはやされたが、しきたりを重んずる皇室では、いろいろとご苦労もあったに違いない。
「『台所を大切にすべき』というお考えもそうですが、美智子さまと大橋鎭子さんには、その“信念”に共通する部分がたくさんあったと思います。そして、家族の日々の暮らしこそが“平和の礎”となるという大橋さんの理念に、美智子さまがどれほど共鳴されたのか気になるところです」
鎭子さんの友人は次のように話す。
「お2人が“親友になったきっかけ”について詳しくは存じあげないのですが、夏の軽井沢でお会いしていた、と聞いたことがあります。軽井沢には、大橋家の山荘もあって、美智子さまはよちよち歩きの皇太子さまと一緒に、遊びにいかれたことがあるそうです。鎭子さんは美智子さまより15歳年上ですから、美智子さまが戦争体験のことをお尋ねになったこともあったと思います。でも話題の中心はやはり文学でしょう。また芸術への造詣も深いお2人は、気心が合われたと思います」
’13年に帝国ホテルで行われた鎭子さんの“お別れ会”には、美智子さまがお忍びで訪問されていた。当時『暮しの手帖』の編集長だった松浦弥太郎さんは、ホームページ「くらしのきほん」で、こう記している。
《長年、鎭子さんと親しくされていた皇后さまが、献花に来られると連絡があったのは当日のことだった。(中略)献花の後、皇后さまはゆっくりと僕のところに歩み寄り、鎭子さんとの思い出、そしてご自分と暮しの手帖のことを粛々とお話しくださり、編集長としてのねぎらいの言葉をかけてくれた》(’16年6月30日)
美智子さまは“若かりし日の鎭子さん”が登場するドラマをご覧になっているのだろうか。あの日、軽井沢で語り合った“メニュー”を思い出されながら−−。