事前に子供たちのことを話してほしいと書いた手紙を出していたので、彼女はあらかじめ、話したいことをメモに書いてなぞるように話すのだった。そのメモの横には子供たちの写真も持参。時よりチラチラ眺めながら話すのがとても印象的であった。

「この10年間、子供たちには申し訳ない気持ちで一杯です。逮捕当時、中学3年生だった長女の高校受験を親としてサポートしてあげられなかったこと。長男が“死刑囚の子供”と言われたり…、たくさんたくさん辛い想いをさせたと思っています。
法廷での私の態度が批判されましたが、あの場で涙を流したり、泣き崩れたりしたら、子供たちはもっと辛い気持ちになると思いました。だから法廷では、本当は大泣きしたいけど、あえて涙を流さないように頑張りました。子供からの手紙で『ママ、拘置所の中で泣いていない?』って書いてあっても、泣いてないよって返事を書きました。本当は泣いてばかりの日々でしたけど…

今でも忘れられないのは、逮捕された当時、まだ4歳だった三女が、小学校に入学した時の写真が送られてきたときです。その時は大泣きしました。袖の短い20~30年ぐらい前の古い服を着せられて撮られた写真でした。母親として情けない気持ちと、申し訳ない気持ちで涙が止まりませんでした。それ以来その写真は二度と見ることができません」

薄っすらと涙を浮かべながら話す眞須美被告。この日着ていた上下ピンクのジャージにも、三女への思いを込めていると彼女は語る。

ピンクというのは幸せ色。幼くして離れ離れになった三女は、私にとってかわいくて、かわいくてしかたのない存在なんです。だからピンクは三女の色と決めているんです」

ジャージだけではなかった。時より涙を拭うハンカチまでもピンク色であった。

「子供たちは健気にも、自分たちの不幸を何もぐちらず、私を支えつづけてくれました。私にとっては日本一の宝です。この事件によって家族がバラバラになりました。ただ、離れてこそわかる愛情や家族の結束というものを知りました。そして子供たちが他人様にも自慢できる人間に成長してくれたことが、何より嬉しく思っています。子供たちと再会できたのは、逮捕後7年近くたってからでした。それまでは毎日のように手紙を書き続けました。子供たちと初めて面会できたとき『ママのこと忘れんといてね』と言ったら、三女が『忘れへん!』と、大声で怒られました。その三女に母親としての愛情をかけられないことが、今いちばん辛いですね。
最後に子供たちにぜひ言っておきたいことは“あんたたちがいてくれたから、今のママがあるんだよ”と」

約11分の面会はあまりにも短く感じた。彼女は部屋を出る間際に、無罪判決出たら着るスーツをすでに用意していると言いながら、笑顔で部屋を出て行った。その後姿は、どことなく寂しげであった。

シリーズ人間【林眞須美和歌山カレー事件・林家の10年は終わります。

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