具体的な目標としては、翔子さんと、障害を持つ教え子たちの作品展を2010年に開催したい。
「十数年、ずっと頑張っていてなかなかよい字を書ける生徒たちが何人もいるので、ぜひ立派な作品を作ってお披露目してあげたいのです」
障害者の地道な努力にも花を咲かせてあげたい。また翔子さんのことを知って、遠くから通って来る生徒も増えたので、展覧会が励みになり、もっと力が発揮できたらという狙いもある。
「障害があっても諦めなくてもいい、これだけのことができるのだということをもっと広く知ってもらいたいのです」
どの子が偉いとか、偉くないとかではなく、何よりも存在を認めてあげて欲しい、泰子さんはそう願っている。
「先日、古い友人からお手紙をいただいて、ありがたく、とても感動したのですが、
翔子のことについて、『翔子さんの染色体が1本多いのでは
なく、我々のほうが1本少ないのではないかなと思います』と書いてくださったの。思いがけない言葉で、本当にうれしかった」
ダウン症だから希望がないと、絶望した日々を思うと、泰子さんにとって信じられない喜びの瞬間がまだまだ訪れる。
「近所の商店街で、翔子のかつてのクラスメートにばったり出会ったの。優秀だった男の子がやはり立派な青年になっていたのだけれど、彼もこう言ってくれました。『いつもビリだった翔子がトップになっちゃったね』って。私は、「え? 翔子がトップだなんて、そんなことがあるのかしら?」って不思議な気持ちに襲われましたが、いまだけでも、その喜びにひたっていてもいいかなと思うのです」
>>最終回 ご愛読ありがとうございました
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