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グレーのトレーナーは、胸のあたりからスッパリと裂けており、事故の凄惨さが伝わってきた。村松亮くん(享年13)の身長は140センチで、クラスの男子の中でもいちばん小柄だったという。小さなトレーナーを眺めながら、亮くんの父親(40)はポツリポツリと語る。

 

「あの日、亮が着ていた服です。警察から返ってきたので、洗濯をしたんです……。亮は優しい子でね。背も小さいからか小学校のときの友達は女の子ばかりでしたよ。矢幅駅のホームから電車に飛び込むなんてね。怖かっただろうに……、亮によくそんなことができたなぁ、と思います。それだけ、いじめが苦しかったのでしょうが……」

 

岩手県矢巾町の中学2年生・村松亮くんが、電車に飛び込んだのは、7月5日日曜日の夜7時半ごろ。本誌が亮くんの父親に取材したのは、事故から4日後のことだった。

 

亮くんの死後、遺品を調べるために、警察が自宅にやってきたという。彼の勉強机のあたりで発見されたのが『生活記録ノート』だった。

 

「それを調べた警察が、『やはり亮くんは自殺でしょう』と……」

 

今学期の記述は4月7日から6月28日までだった。4月から彼は、自分がいじめのターゲットになっており、自殺まで考えていることを何度も訴えている。

 

《実はボクさんざんいままで苦しんでたんですよ》(6月8日付)

《もう生きるのにつかれてきたような気がします。氏(死)んでいいですか?》(6月28日付)

 

しかし、最後までいじめ問題に対する抜本的な対策が講じられることはなかった。それどころか生活記録ノートの亮くんの必死のSOSメッセージは、担任以外の教諭や校長には伝えられていなかったのだ。父親は、女性教諭への怒りを隠さなかった。

 

「4月に一度面談で会いました。40歳の私と同年代くらいに見えました。優しそうな女性で、そのときは“亮もいろいろ相談しやすそうだな”という印象を受けたのですが……。いまとなっては裏切られた気持ちです。亮は自殺する一週間前の6月28日にも《ボクがいつ消えるかわかりません》と訴えています。それなのになんですか《明日からの研修たのしみましょうね》って」

 

父親は声を絞り出すように語り続ける。

 

「もちろん、亮へのいじめを解決できなかった、いちばんの理由は、親である僕がいたらなかったせいです。5年前に妻と離婚していましたが、亮のことを聞いて、岩手に帰ってきた彼女にもなじられました。『亮のことは、あなたに任せていたのに!』って。……まったくその通りだと思います。それでも、ノートにあれだけのことが書かれていたのに、なぜ助けてくれなかったのか、という思いは消せません。結局、担任も学校も何もしてくれなかった。亮は無責任な彼らに見殺しにされたようなものです」

 

実は担任女性教諭は生活記録ノートに、こんな言葉を書き込んでいたこともあった。

 

《亮の笑顔は私の元気の源です。》(6月28日付)

 

しかし、この担任はもちろん、亮くんの肉親さえも、その笑顔を二度と見ることは叶わない。

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