「30年間ありがとう。本当によく頑張ったね。医師として立派な最期でした。これからは娘と私を見守ってください」兵庫県神戸市の新須磨リハビリテーション病院の神代尚芳院長(享年67)の葬儀でこう手紙を読んだのは、妻の実津子さん(58)。がんの名医として末期がん患者200名を看取って来た神代さんが亡くなったのは、5月17日のことだった。

 

「末期がん患者を看取り続けた医師が末期がんとなり、医師としての最期を迎えようとしている」そんな話を聞いた記者は、女性自身3月26日号で神代さんを取材していた。「余命は1年もないでしょう」と自らを診断した彼は、医師としての最期を実りあるものにしようとしていた。20年に渡り提唱してきた“治療を最小限にとどめ自分らしい最期を迎える”『完成期医療福祉』という考え方を、身をもって実践しようとしていたのだ。

 

「『死ぬことはこの世から消えてしまうこと』だと考えると耐えられないほど恐ろしい。でも『死は人生を完成させるもの』と思えば、怖くなくなる。そのためには管理された病院で死ぬのではなく、自宅などの自由でいられる場所で最期を過ごす必要がある」と語っていた神代さん。あれから2カ月、神代さんの最期はどのようなものだったのだろうか――。

 

神代さんの体にがんが見つかったのは、昨年5月。大細胞型という進行性の肺がんだった。親友の医師が7月に手術したが、今年2月、脳に転移していることが分かり開頭手術。3月16日に退院してからは自宅で療養生活を送っていた。それは、ほとんど家に帰らず医師の道にまい進し続けた神代さんにとって、初めての家族団らんのひとときだった。

 

そんななか、実津子さんが神代さんから言い渡されたのが「①抗がん剤は使わない②薬も胃腸薬程度③治療も検査もしない④倒れても救急車は呼ばない」というものだ。だが5月に入ると容態は急変し、幻覚症状による発作を起こすように。「突然ベッドから起き上がったかと思えば、病院にいると勘違いしているみたいで『家に帰るから靴下とズボンを持って来てくれ』と言い出すんです。急にモルヒネの講演をし始めたこともありました。『あんなしっかりした主人がこんな風になるなんて……』と可哀想になりました」

 

症状は悪化し、異常行動も増えていった。そのことが、これまで二人三脚で介護に当たってきた実津子さんとひとり娘・妙花さん(27)の関係に微妙なズレを生じさせてしまう。「異常な行動が続くと、どうしても私の言い方がきつくなってしまうことがあったみたいで……。すると娘が『ママの接し方がきつい』と怒るんです。『いつもはそうじゃない。たまたま今だけよ』と言っても娘はそのときしか見ていませんから。私も娘も不安だったんだと思います。娘は『もうどうしたらいいのよ!』と泣きだすこともありました」

 

そんなとき、一家を心配した神代さんの親友の医師が自宅を訪ねてきてくれた。そして、その解決策のひとつとして、神代さんのホスピス入りを本人に相談したのだ。「でも私は反対でした。主人はこれまで医師としての決断を全うするために自宅での死を望んでいました。もしここでホスピスに入れると、主人の努力が無駄になってしまうと思ったんです」

 

だが実津子さんの考えとは裏腹に、神代さんの返事は意外なものだった。「主人は『最近、何が何だかわからなくなってきたんや』と言っていました。主人の親友の医師は『がんが相当進行しているんやろうな。ご家族も悩んでいるみたいやで』とホスピス入りを主人に切り出しました。私は、主人が拒否すると思っていました。でも『俺はもうそれでもええで』と言ったんです!あれだけ自分の考えを曲げなかった主人ですから、不本意に決まっています。きっと私たちのことを考えてそう言ったんだと思いました」

 

そんな姿に、実津子さんは『絶対にホスピスには行かせない』決意を新たにしたという。5月に入りしばらくすると、神代さんはほとんど寝たきりに。そんなとき、ベッドの下を整理していた実津子さんは『二人へ』と題された手紙を見つけた。2枚組の手紙。それは介護に奔走した妻と娘に宛てた遺書だった。

 

《長い介護、看病、最後までありがとう。感謝、感謝です。腰は大丈夫ですか。私はこちらに来てみる限り、妙花は優等生でしたね。これなら安心だ。二人に深く謝らなければいけないね。ちょっと早すぎる死ですね。これからは二人であらゆる面で助け合って強くたくましくやさしく生きてください。退院したらどこか贅沢旅行に行こうかと言ったりしていたけど、どこにも行けなかったね。ごめん。旅行は二人でゆっくり行ってください》

 

これまで家族宛ての手紙など一度も書いたことはなかった神代さんの、最初で最後の手紙だった。このころ、がんは胃を除く全ての臓器に転移。食事も水分も摂らなくなっていたという。そして5月17日、無呼吸症状が現れた。「死の10分ほど前、主人の目から涙がこぼれ落ちました。私は“ありがとうの涙”だと思いました。そして最期に大きな息をして、静かに止まりました。亡くなったのは午前11時50分。私と娘に看取られての最期でした」

 

神代さんの最期は“何を完成させた死”だったのだろうか。実津子さんに聞くと、こんな答えが返ってきた。「主人は何も怖くなかったと思います。医師としての考えを貫くことができたんですから。そして、主人は死ぬ間際に初めて家族の絆を実感できたんだと思います。病気になって初めて私たち家族3人はひとつになれた。そう思うと、それだけであの人は満足だったんじゃないかなとも思えるんです」“死は完成だ”と訴え続けた神代医師。自らの死をもって最期に完成させたのは、揺るぎない家族の絆だったのかもしれない。

関連カテゴリー:
関連タグ: