植物生理生態学者・田邊優貴子さん(34)の目は輝いていた。その日は故郷・青森県の三沢市で講演会。8月に出版した『すてきな地球の果て』(ポプラ社)を手にしての凱旋講演だ。

 

生物研究者用の教科書に掲載された田邊さんの大発見・南極の湖底植物コケボウズが映し出されると、話にいっそう熱が入った。

 

「湖の中とはいえ、白夜の夏の紫外線はものすごく強くて、植物もダメージを受けるはずなんです。でもコケボウズは表面にサングラスのように紫外線をカットする物質を持っていたんです」

 

薬や化粧品など、さまざまに応用できそうな発見だ。’07年に初めて南極へ渡り、’09年、’11年と3度、南極を体験。’10年には北極のスバールバル諸島にも足を運び、今年2月にはウガンダの高地で野外調査をした。7〜8月には3度めとなる北極へ行ってきた。時間を惜しむように、過酷なフィールドに出る。そのパワーの源はなんだろう?

 

「あと15年と思うと、やはり焦りの気持ちもあります」と、ためらいながら彼女は言った。祖母も母も患った遺伝性のある難病。ひょっとしたら自分も……。それが彼女を極地に駆り立てていた。

 

「母の実家には寝たきりの祖母がいました。3年前、88歳で亡くなりましたが、頭はハッキリしていたし、言語は明瞭ではないものの、普通に話していましたから、病気で動けないんだろうくらいにしか思っていませんでした」

 

大学に入る前になって、ふと気になった。「おばあちゃんの病気。なんだろう?」。母・貴美子さん(61)に聞くと、「脊髄小脳変性症っていうんだよ」と、気負うことなく答えて、簡単に説明もしてくれた。

 

おそらく遺伝性で、運動神経にマヒが出て、動けなくなったり、話せなくなったりする難病。原因は不明で治療法も確立されていない、と。「へ〜っ、そうなんだねという感じで。人ごとみたいな感じでした」。その後、貴美子さんも、2人の伯父たちも、50歳を前に発病した。それから田邊さんも少しずつ、病気を意識するようになったという。

 

「いつか自分も……と、焦りにも似た気持ちを抱きました。でも、どうしようもないですし。ただ、その思いはいつも頭の片隅にはあります。だからこそ、好きなことをやっていきたい。私が発症するのは、早く見積もっても50歳と考えます。逆算すると15年。あと何回、極地に行き、あと何年、研究者を続けられるのか。その思いが、私を極地に向かわせるんだと思います」

 

目標もある。湖とコケボウズの論文を科学誌『ネイチャー』に掲載させること。科学者として大きな業績になる。

 

「残り時間が少ないなんていう私の思いなんてどうでもよくなるくらい、南極や北極では迫ってくる時間のスケールがケタ違いなんですよ。ネガティブな気持ちはすべて払拭するように、バーン!と30億年前の岩があったり、2千年前のアザラシの死骸が出てきたり。とにかくスケールが大きくて、スカーッとさせてくれるんですよね」

 

悠久な南極の時間と、限りある自分の時間。2つの相反する時間の流れを行ったり来たりしながら、田邊さんは「今」を生きている。

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