東京・有楽町と新橋の間のガード下に並ぶ飲食店街のなかほどに、丸の内新聞事業協同組合の社員食堂がある。その厨房で、三角巾をかぶったおばちゃんが一人、黙々と後片付けをしていた。彼女は今年4月、著書『月下上海』で第20回松本清張賞を受賞した作家・山口恵以子さん(55)だ。

 

「336655のゾロ目」と、人なつこい笑顔を向ける。その意味は、昭和33年の6月6日生まれの55歳。

 

「祖父が理髪鋏の工場を経営していて、幼少のころは住み込みの工員さんや家政婦さんがいるにぎやかな家でした。私は母に、なめるようにかわいがってもらいましたね」(山口さん・以下同)

 

空想癖が強かった山口さんは、少女漫画家を目指した。

 

「早大卒業後、宝石会社に就職しましたが、仕事は漫画家になるための腰掛けとしか考えていなかったんですね」

 

会社は3年で倒産。その後は宝石関係の派遣の仕事をしながら、漫画を描き続けたが芽が出なかった。33歳でシナリオ研究所に学び、講師の紹介で2時間ドラマのプロット(あらすじ)作りにたずさわる。しかし、生活できるほどは稼げない。汲々とした生活が続き、社員食堂のパート採用が決まったのが44歳のときだ。

 

「時給が1500円で、交通費支給、ボーナス・有給休暇あり。『スナックのねえちゃんよりいいかも!』って思いましたよ。定年まで働けますしね。そして、食堂で働いて生活が安定してきたら、気持ちに余裕が出て、プロットではなく小説を書こうと思えたんです」

 

それから5年。パートから食堂の社員に昇格したころに、時代小説『邪険始末』が初めて本になった。

 

「あきらめず、めげずにこられたのは、母譲りの本好きと根拠のない楽観があったから。私には『なれる』という自信があって、一瞬たりともそれを疑ったことがないんです」

 

書くことは生きがいだが、食堂の仕事にも喜びを感じる。

 

「最近、食堂が天職とも思っていて、のめりこんでいる部分があります。メニュー作成、買い出し、調理、金銭管理、なんでもやります。給料をもらっているのに幸せですね」

 

頼りにしてきた母が、父を亡くしてから老いの下降線をたどっている。その母を支えながら、自身も更年期うつで書けない数年を過ごしたときは食堂の仕事が支えてくれた。

 

小説家と食堂のおばちゃん。どちらも欠くことができない山口さんの両輪だ。

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