出入りは自由にできるが、泊まることはできない区域。“あの日”から時間が止まったように見える街の一角に、盛んに人が集い、食事をして、憩うことのできる食堂がある。難題が山積みであっても、ここで生きていくと決めた住民たちは、笑顔を忘れない。腹が減ったら復興はできない。そう、おなかがすく、ごはんを食べるということは、生きていくことだ−−。

 

福島県南相馬市小高区は、福島第一原発から北に位置する、いわゆる「原発20キロ圏内」。同じ南相馬市でも30キロ圏内の原町区では、早い段階で屋内退避が解かれたが、原発に近い小高区は、いまだ住民が住むことはできない。

 

そんな小高区で昨年12月、地元のおばちゃん、渡辺静子さん(66)、鈴木弘子さん(64)、島抜典子さん(60)、八島智恵子さん(62)の4人が切り盛りする食堂『おだかのひるごはん』はオープンした。見渡せば、テーブル席も奥の小上がりも、定員約30人の店内は満員のにぎわいだ。

 

「当時、よく言われていたのが、『ここでお店を再開しないのは、お客さんがいないから』というセリフ。それは、再開しない理由を作っているように聞こえました。小高にはもともとおいしい店があって、別の町からも人が来てた。きっと店に魅力があれば人は集まると思ったんですね」(食堂オーナーの和田智行さん・以下同)

 

月・火・木・金曜の週4日営業で、営業時間は屋号にあるとおり、11時から14時までのランチのみ。メニューは700円の日替わり定食と、300円のかけうどん、かけそばだけ。それでもオープンから約2カ月、おふくろの味を求める客で、1日40食ほどを売り上げる日がほとんどだ。

 

「初日の定食は、みんなが大好きな豚のしょうが焼きで勝負しました。最初は経費節減でセルフサービスも考えましたが、それだったら温かみがないと思って。だから、注文や料理を運ぶとき、時間があるだけ世間話をする。それが、田舎の食堂のやりかたなんですね」

 

この、店内をゆったり流れる時間や温かみこそが最高のごちそう。もちろん、初日に用意した60食は、閉店時間を待たずに売り切れた。4人のおばちゃんたちは「こんな忙しさが続いたら倒れちゃうよ」と明るい愚痴を言いながら、小さいけれど、ここが小高の新しい生活拠点になるとの手応えを感じた。

 

ただし、放射性物質の除染を筆頭に、住宅、学校、就職など多くの難題が残っているのは誰より地元で暮らす4人のおばちゃんたちが承知している。“来年4月の完全帰還なんて絵に描いた餅”などという声もあちこちで聞いた。

 

「もう戻れないと諦めている人、帰ろうか悩んでいる人も多い。戻ると決めた人にも不安はあります。だからこそ、小高にこんな場所ができて、『戻りたい』と思う人も増えるかな、って。なにもかも震災前のようにはいかないかもしれない。でも戻ってきた人たちで楽しく生きていきたい。住み慣れた土地で、人情深い生活が送れればと思うんです」

 

その思いを胸に、4人のおばちゃんたちは、今日も合言葉「みんな、帰ってくんべ!楽しくやっていくべよ!」をつぶやきながら店内を忙しく行き来する。凍えた体だけでなく、疲れた心も解きほぐす、おふくろの味。その一皿には4人のおばちゃんだけでなく、多くの地域の人たちの復興への思いが込められている。

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