「非道な暴力を制しても、本当の平和は訪れない――。この4月にイラク北部の都市・アルビルにある難民キャンプで医療支援をしながら、あらためて強く感じました。今こそ、憎しみに対して憎悪で報復するような連鎖を、止めなければいけないのです」

 

こう語るのは長野県・諏訪中央病院名誉院長の鎌田實先生(66)。’04年から、イラクを中心に医療支援を続けている先生に、混沌とするイラク情勢を伝えてもらった。

 

「アルビル郊外には、『イスラム国』の脅威により、イラク国内やシリアから逃げてきた4万5千人の避難民が暮らしています。そこに、僕が代表をつとめる『JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)』が支援する4つの診療所があります。今回の目的は、それぞれの診療所への薬の供給と、難民の人たちが必要な医療を受けられる体制づくりでした。さらに今回は、難民のなかにいたドクターや看護師に、今度は支援する側になってもらう試みも行いました」

 

ところが今回の訪問で、気がかりなことがあったという。

 

「それは『イスラム国』から逃げてきた人たちのなかに、小さな憎しみが芽生えていたことです」

 

勢力拡大を続けた『イスラム国』は、昨年8月から始まった、米軍を中心とした有志連合の空爆により、表面上その勢いは抑えられている。鎌田先生が伝える『憎しみ』とは、力に対して暴力で抑えこもうとすることで生まれてくるものだった。

 

「家族を殺したり、生活を奪ったりした『イスラム国』が怖い――と、イラク国内やシリアから逃げてきた人は口々にそう語ります。しかし、その一方で、有志連合の空爆も同じくらい恐ろしいという声も、幾度となく聞きました。とくに遠隔操作で飛んでくる無人飛行機が、頭上を飛んでいるときの恐怖はことさらのようです。かなりの比率で誤爆があり、子供や女性の住民が殺されています。子供がひとり殺されると、10人の若者が、憎悪していたはずの『イスラム国』の戦闘員になり、アメリカ軍との戦いに参加する、と聞きました。そんな事態を危惧し、空爆をやめてほしいと訴える人さえいました。やられたら、やり返す――。この憎悪の芽を拡大させてはいけないのです」

 

鎌田先生は、中国の軍備増強に対して、日本も軍拡するべきだ、という意見がまかり通る現状を嘆く。先生は『戦争は子供や女性がもっとも悲劇に遭うんだ』ということを肌で感じてきた。武器では、子供たちを救えないのだ。そして、ますますきな臭くなる日本の行く末を、危惧している。

 

「人質を残虐な方法で殺し、若い女性を奴隷として売り買いするような『イスラム国』が、どうして生まれてしまったのか、考えてほしいんです。そして、僕たちの心にも、彼らと同じような『獣』が眠っていることを忘れてほしくはないんです。侵略、戦争、貧困、格差が引き金となって若者が『イスラム国』の戦闘員になったように、ちょっとした憎しみや怒りがきっかけとなり、僕たちの心のなかの『獣』が起きだすかもしれないのです。そして、それが戦争へつながる危険性を生むのです」

 

そもそも先生がイラクへボランティアに行くようになったのは、軍隊を出さなくても、人と人とのつながりが「安全保障」になることを実証したいからだったという。

 

「今、私たちが求められているのは、武力を持つことではなく、『世界最強の人道支援』をすることです」

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