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沖縄県那覇市安里にある栄町市場。戦後の復興期に誕生した、今も昭和の薫り漂う市民の台所だ。通りを行く赤ちゃん連れの家族にいろいろな店から声がかかる。「赤ちゃん、見せてよ!」「見るたびに大きくなるねえ」。パパは澤岻良心(たくしりょうと)さん(33)、ママはさおりさん(32)、心愛(とあ)ちゃんは生後8ヶ月だ。

 

父親となり、良心さんには新たな覚悟が芽生えていた。もう堂々と前だけを見ていく。「お父さんは女だったんだよ」「知ってるよ!」。物心ついたわが子と、いつかフランクにそんな会話ができる日を心待ちにして――。

 

良心さんは’81年那覇市で生まれた。栄町市場にあった祖父母の天ぷら屋兼住居で育つ。

 

「市場でチャンバラしていましたね。お風呂で父のオチンチンを引っ張りながら『何で自分にはないの?』って聞いたら、『おっきくなったら生えてくるよ』って(笑)」

 

小学校の赤いランドセルが嫌だった。10代になると、好きになるのは女の子で、そのたびに「自分は普通じゃない」と思った。セーラー服も苦痛。高校では、悩みから逃げるようにバレーボールに打ち込んだ。そんなころ、たまたま見たテレビに、同級生の男子が女子の制服を着て出演していた。社会も少しずつ変化していた。

 

その直後、やはりテレビである言葉を知ることになる。女性から男性になった当事者が、記者会見で戸籍の変更を求めていた。「性同一性障害」という言葉が報道で使われていた。

「これだったんだ!」。長年抱き続けたモヤモヤの正体が晴れた気がしたという。

 

アスレチック・トレーナーの道なら、自分らしく生きられるかもしれないと上京。しかし経験を積むほど、男女の力の差を痛感し、天ぷら屋から母の美容院となっていた実家へ。日中ひきこもり深夜バイトをする日々が1年。ある日、母が言った。

 

「死んだ魚みたいな目をしているよ。良ちゃん、あなた何がしたいの」

 

母・八重さんの一言にハッとする。ともに泣き腫らしたカミングアウトだった。

 

「子供のころから男っぽい服ばかり好んで着ているし、中学に入って制服のスカートをはいたときは顔面が蒼白でした。カミングアウトされた日は、やっぱりなと、これまで抱えていた疑問の答えが出た感じでしたね」

 

八重さんは、この後もわが子の悩みに寄り添い、常連客にも隠さず経緯を話していったという。

 

女性から男性に生まれ変わるため’07年11月、タイで性別適合手術を受けた。実はその前に改名を家庭裁判所に求めていたが、裁判所からは認められなかった。帰国して、家庭裁判所への再度の改名と、さらに戸籍変更の申請には、男性用スーツ姿で出かけた。

 

「市場の中を前を向いて歩きました。裁判所の前に、自分が生まれ育った故郷に認めて欲しかったんです」

 

2ヶ月後、訴えが認められ、戸籍には「良心」「男」と記されていた。肉体的にも社会的にも男性と認められ、大きな自信を得た直後のこと。沖縄で初めての性同一性障害のシンポジウムが開催されることとなり、良心さんはここで実名と顔を出しての参加要請を受け入れた。社会に向けてもカミングアウトしたのだ。

 

「会場で250人もの参加者がいるのを見て、あらためて性同一性障害を隠さないでいられる場所が必要と思いました」

 

その思いは’08年12月、母の美容院の隣にオープンさせたバーに結集する。一般の人も大歓迎。開店してまもなく、同級生が連れてきたのが、のちに妻となる、さおりさんだった。良心さんは人生初の愛の告白を。

 

ひとつひとつハードルを超え、出会いから1年後の’09年12月に入籍。’14年1月、夫婦は第三者からの精子提供を受けての人工授精に成功し、10月19日、心愛ちゃんが誕生した。3人を変わらずに見守り続けるのは、栄町市場のファミリーの面々だ。

 

これからも人生は、穏やかな日ばかりではないだろう。カミングアウトした者の宿命でもある。でも、どんなときも、沖縄らしくゆったりと受け止めてくれる家族と仲間がそばにいる。

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