沖縄では’14年知事選、総選挙と県外移設を訴えた移設反対派が完全勝利。願いがかなうかに思われたが、政権は工事を強行している。その土地に生きる人をないがしろにする“蛮行”への闘いに、共感は広がった。自分たちが生きる場所を取り戻す闘いは、民意を無視し続ける安倍政権を揺り動かそうとしている−−。
「古い映画だけど、『仁義なき戦い』の裏切り者の山守、覚えていらっしゃらない方もいるかな。映画の最後で『山守さん、弾はまだ残っとるがよ。1発、残っとるがよ』というセリフを私はぶつけた。その伝で行くと『仲井真さん、弾はまだ1発、残っとるがよ』」
故・菅原文太さん(享年81)の名ゼリフに、1万3千人余の観衆が沸いた。文太さんは昨年11月1日、仲井真前知事の対立候補として、「辺野古新基地NO!」を掲げて立候補した翁長雄志(現知事)の応援集会に、自ら申し出て出席。渦巻く拍手と指笛は、「普天間基地県外移設」を公約に、再選を果たした前知事・仲井真弘多氏が、政府の意向も受けて、一転して辺野古移設を承認したことへの怒りの波動だった。
文太さんは、沖縄セルラースタジアム那覇で、熱弁を振るってから2週間後に入院し、そのまま帰らぬ人となった。
「体力は年ごとに少しずつ衰えていましたが、気力はありました。『俺はあと2〜3年は大丈夫だ』と。正月を迎えずに亡くなるとは思いませんでした。翁長さんの当選は、病院のベッドで私が伝えました。ホッとした様子でしたよ」
そう語るのは、妻・文子さん(73)。半年後の4月9日。沖縄で基地移設反対運動を資金面で支援する「辺野古基金」が設立。宮崎駿さんは、辺野古基金共同代表就任に当たって、「沖縄の人たちがそういう覚悟をするなら、支持するしかない」とコメントを寄せた。共同代表には、ほかにも地元経済人や有識者、作家の佐藤優氏、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏ら、著名人も名を連ねる。そのなかに、文子さんの名前もあった。
「お誘いがあったとき、これは私のすべき仕事なのかなと、真剣に考えました。私には、俳優として活躍した夫を、利用したくないという気持ちがあります。夫婦であっても、独立した個人ですから。でも辺野古問題は、ただ沖縄だけの問題ではない。日本中の人が、今後の民主主義と地方自治の大切さを考えていく大きなきっかけになる。そう思い、お手伝いさせていただくことにしました」(文子さん)
こうしてスタートした基金は、注目度も成果も、予想をはるかに超えるものとなった。まだ、設立からわずか2カ月というのに、募金件数は3万5千525件、募金額は3億4千512万8千873円(6月17日現在)。当初の目標額3億5千万円は達成目前だ。共同代表の1人・平良朝敬さん(かりゆしグループCEO)は次のように話す。
「本土からも多くの寄付が寄せられたことに、まず、驚きました。沖縄に押しつけられた不合理を、理解してくださる方が本土にもたくさんいたんです。ホッとしましたね。今、集団的自衛権の問題がありますが、安倍政権は国民の疑問も『NO』も無視して、数の力で推し進めようとしています。政権のこのような強硬姿勢が、本土の人にも辺野古問題とダブって見えたんでしょう」
海外からの注目度も高い。先月17日、「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設!」の沖縄県民大会に、アメリカからオリバー・ストーン監督は「『抑止力』の名の下に建つ巨大な基地は一つの嘘だ。アメリカ帝国が世界中を支配する目標を進めるための、もう一つの嘘だ。この怪物と闘ってくれ!」とメッセージを寄せた。戦後70年。日本人は、まさに正念場だ。
「読者の皆さんに言いたいの。ふだんはアイドルを追いかけてもいい。食べ歩きだってかまわない。ただ、この先の1年は、戦後70年でいちばん大事な1年だから。来年夏の参院選で、皆が動けば国は変わる。街宣車やヘイトスピーチのような暴力ではない非暴力の戦いは、まず、選挙です。だから、この1年は、国がやろうとしていることをしっかりと見てほしい。だまされないようにしてほしい」(文子さん)