東日本大震災から5回目の、お盆が過ぎた。少しずつ気持ちの整理をする中で、亡くなった家族に“接する”ことができたという体験談を語る人が、増えてきた。被災地で聞いた、ちょっと不思議で心温まるエピーソードをご紹介−−。

 

東日本大震災で、宮城県名取市の沿岸部に位置する閖上(ゆりあげ)地区は、人口5千人以上のうちの750人ほどが津波の犠牲となった。その閖上地区から2キロほど離れた美田園地区は新興住宅地となっていて、急速に新しい街並みが整えられつつある。

 

「私には言わないんですが、たぶん主人は夢で公太に会っていると思います。だって寝言で『公太……』って言っていますからね(笑)。でも、私には言わない。夫婦の間で震災の話もしないし、息子の話も出ないんです」

 

どんなに亡くなった家族と会いたいと思っても「一度も夢に出てきてくれない」という人も、当然いる。中学1年生だった長男・公太くん(享年13歳)を津波で失った、丹野祐子さん(46)もそのひとりだ。現在、丹野さんはNPO法人「地球のステージ」が運営する、閖上中学校慰霊碑社務所「閖上の記憶」で語り部として活動している。’12年4月に第1回の「語り部の会」を開催して以来、現在までに4万人以上が訪れている「閖上の記憶」には、この日も団体客が多く訪れていた。

 

「私は、息子の遺体が発見されたのでまだ幸せなほうです。行方不明の方もいらっしゃるんですから」(丹野さん・以下同)

 

そう言って、丹野さんはネックレスの先についている筒状のペンダントをさすった。中には、公太くんの遺骨が入っているのだという。

 

「あとで聞いたことなんですが、あの日、サッカーをしていた公民館のグラウンドから公太といっしょにから逃げた子が、助かったそうです。でも、どこで公太とはぐれてしまったのかなど、一度もその子に聞けません。その子もかわいそうで。でも、公太が必死で走って逃げただろうことは、その子の言葉でわかりました。公太は太っていたので、中学校に向かって走って、力尽きたのかな……」

 

公太くんは津波から2週間後、閖上中学校の入口近くのがれきの中から、遺体で発見された。そして、5月に公太くんの葬儀を終え、6月に一家は仮設住宅に入居。すると、ある噂が、丹野さんの耳に入ってきた。

 

「『閖上に、夜中、走って逃げる幽霊が出る』というものでした。私は何度か、主人や娘には内緒で、夜中にこっそり見に行きました。『霊でもいいから、公太に会いたい』と思ったんです。そこに公太がいるなら、『もう走らなくていいよ。無理しなくていいよ』って言ってあげたくて。走るのが大っ嫌いな子でしたから。でも……いませんでした。真っ暗で、静かで、風の音以外は何も聞こえなかった」

 

震災以来、何度も「死んだほうがましだ」と思った丹野さん。そんなとき話を聞いてくれたのが、同じ被災者で心療内科医の桑山紀彦さん(NPO法人「地球のステージ」代表理事)だ。桑山さんは彼女の話に、泣いてくれた。そして、「夢でもいいから、公太に会いたい……」という切実な思いを基に、桑山さんは’13年、映画『ふしぎな石』を製作した。ファンタジックなストーリーで、地元・閖上の子供たちが主演し、丹野さん自身も出演している。

 

「公太には、天国でニコニコと笑っていてほしい。私は語り部として、閖上中学校で亡くなった14人と、そして震災の記憶を伝え続けていきます。そして今でも、夢でもいいから、公太に会いたい−−」

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