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「ミネラルたっぷりの草を食べたヤギのミルクは、ほかとは違う深い味わいがあります。塩は、国内外から取り寄せて吟味し、結局、富山湾の海洋深層水からとった塩がいちばん合うことがわかりました。うちのヤギチーズは、黒部の自然の恩恵を集めたものなんです」

 

そう語るのは、Y&Co.(吉田工業)の吉田朋美さん(34)。チーズ製造責任者をはじめ、スタッフは朋美さんを含めて4人。’14年7月から販売を開始したヤギチーズは、同年秋の国内のチーズ・アワードに出品すると銀賞を受賞。さらに試行錯誤を重ねて、’15年6月にはイタリアのヤギチーズコンテストに出品。参加40工房120品中、ヨーロッパ勢を押さえて最優秀賞を射止めた。アジア勢初の快挙である。

 

朋美さんがヤギチーズの製造・販売の道に進むきっかけとなったのは、’12年のお正月、家族そろって食事をしていたときに父親が口にした、こんな言葉だった。

 

「これは、家族でかなえる夢の一つとして聞いてもらいたい。じつは、ヤギのミルクからチーズを作りたいと思っている。ついては、おまえたち4人のなかから、誰かひとり、チーズ職人になってもらいたい」

 

父親とはファスナーの世界シェア45%を占めることで知られる国際的大企業、YKK株式会社の会長・吉田忠裕さん(69)。すでにヤギ30頭を、YKK創業者である祖父・忠雄氏(’93年死去)の出身地、富山県魚津市に隣接する黒部市の「くろべ牧場まきばの風」という牧場の一角で飼育、チーズ工房も建設予定だという。

 

「お正月気分も吹き飛んで、みんな、いっせいに目を伏せましたね。私だって、それまでヤギなんて真剣に見たこともなければ、ヤギのチーズを食べたこともありません。でも4人のうち、現実的にできるとしたら……」(朋美さん)

 

長女は結婚して子供もいる。次女は一流ホテルのウエディングプランナー。四女は劇団「円」の女優だ。当時31歳の朋美さんは、アメリカの名門バークリー音楽大学を卒業し、Tomomiの名前でビクターレコードからCDデビューを果たしたものの、音楽だけでは食べていくのは難しく、バイト暮らしの自由といえば自由の日々。

 

“ということは、えっ、私?”と目をそっと上げると、父親の真っすぐな視線と合ってしまった。しかも、最初から朋美さんに狙いを定めていたようにこう言った。

 

「曲なら、どこでも書けるでしょ。修業で知らない土地に行けば、もっといい曲ができるかもな」

 

かくして、突風に巻き上げられるがごとく、ヤギのチーズ職人の道へと押し出されたのだった。’12年初夏、朋美さんは承諾し、人生は未知の世界へと大きく舵を切る。

 

まずは本を読みあさり、東京農大のチーズ講座も受講。’13年には、イタリアのチーズ職人・グアルベルト・マルティーニさんの下で修業。1回につき1〜2週間のイタリア滞在を半年にわたって6回くり返した。

 

そして、試作をくり返していた’14年4月、朋美さんは祖父の故郷であるこの地に移住。ヤギチーズ作りの傍ら、Tomomiとしても地元ラジオ局やテレビ局にレギュラー番組を持つまでになった。

 

「都会の生活では、満員電車で通勤してときどき舌打ちするストレスや、我慢も仕事のうちと思っていました。でもここでは、夜明けの立山連峰を眺めながら牧場に上る。早朝からミルク150キロをバケツで運んで、一日、体を使って働いて、夕日が富山湾にキラキラとおちるのを見ながら帰る。−−ほかに代わりのきかない場所で、やるべきことに集中できるって、私はなんて幸せな環境にいるんだろうって思います」