40人以上が亡くなった熊本地震。1週間以上がたった今も熊本県内で約8万人が避難生活を続け、余震におびえる日々を過ごしている。だが被災地に笑顔が咲いた出来事もあった。本震発生の4月16日、赤ちゃんポストとして有名な熊本慈恵病院で4人の新生児が誕生したのだ。
当時、病院には84人が入院していた。深夜1時25分に起きた震度7の大揺れで一瞬停電に。出産中だった女性は産後処置もままならぬ状態で外へ避難し、救急車内で縫合を行う光景もあったという。そんな壮絶な「命のドラマ」を、今回震災渦中に出産したママが語ってくれた――。
「出産した赤ちゃんを新生児室に移し、そろそろ分娩台から部屋へ移りましょうと看護師さんに言われた瞬間、突然本震の大揺れが襲ったんです。私は後陣痛のため意識がまだ朦朧としていました……」
そう語るのは、15日23時1分に第一子となる男の子を出産した後藤ひかるさん(27)。普段は東京で暮らすひかるさんだが、里帰り出産のため熊本に帰省していたのだ。揺れが治まったとき「赤ちゃんは!?」と叫んだひかりさん。その声に反応し新生児室へ向かった夫の太志さん(27)が当時をこう振り返る。
「いきなりスタッフの方に『非常事態なので、私たちだけでは手に負えません。自分の赤ちゃんを持って逃げてください!』と言われました。赤ちゃんはまだ身体も洗っていない状態で、顔には羊水や血がついたままでした……」
慣れない手つきで赤ちゃんを抱き、妻の元へ戻った太志さん。避難しようとしたものの思いがけない事態が!
「『早く避難を』と言って妻の体を起こしました。すると立ち上がった瞬間、失神して倒れてしまったんです。もうパニック。『起きろ!』と叫びましたが返事がない。仕方なく妻を車いすに乗せ、なんとか避難しました」
150mほど離れた病院駐車場まで誘導された太志さんたち。スマホの明かりを頼りに辿り着いた先には、衝撃の光景が広がっていたという。
「外は寒いので、妻に毛布を掛けたり水をあげたりしていました。そのまわりには着のみ着のままの妊婦さん、赤ちゃんを抱いたお母さん、看護師さんたちでごった返していました。みんな怯えた表情で、地獄のようでした……」
30分ほどで津波の心配がないことがわかると、ひかるさんたちは病院に戻った。だがその後も水道が復旧せず、赤ちゃんの血のついた顔を拭くことができたのは2日後のことだった。
そんな危機を乗り越えて産まれた赤ちゃんは、勇敢に育ってくれるよう「勇志(ゆうし)くん」と名付けられたという。妻のひかるさんが続ける。
「15日に突然破水したため夫が急きょ東京から飛行機で駆けつけてくれたのですが、偶然にもそれ以降の便は地震で全便欠航。ギリギリ間に合う形だったんです。だからもしかするとお腹の赤ちゃんが『もうすぐ地震がくるからママのそばについてあげて!』と言って陣痛を起こしたのかもしれませんね」