匿名の主婦がつづった「保育園落ちた日本死ね!!!」と題したブログが、国会でも取り上げられるという異例の事態に。その後、この文章の表現の問題に焦点を移し、物議を醸している。一億総活躍をうたいながら保育園の待機児童問題は遅々として解消されず。当初はその怒りを素直にぶつけた文章が同じ境遇の女性らから共感を呼んだのだが……。
《じゃねーのかよ》《活躍出来ねーじゃねーか》《なにが少子化なよクソ》《子供にかかる費用全てを無償にしろよ》などの文章に、「本当に女性が書いた文章?」と平沢勝栄衆院議員が発言したころから、ネット上で文章の是非をめぐり、なかには「こんなこと言うような親だから落ちたんだろ!」とまでたたく向きも。
だが、国語学の権威であり、杏林大学教授の金田一秀穂さんは、この文章を高く評価する。
「僕の印象ではとても知的な、おそろしく頭のいい人が書いているんだなと思いました。『死ね』という表現は、いまわりと巷でも多い。ただこの人の場合、『日本死ね』と出てきたところが新しい。『自民党死ね』とかではなく、日本死ねとしたところ。死にようのないものと絡めたところに、インパクトがありました。このすごさは“取り合わせ”といい、俳句でも関係のないもの同士が結びついて面白い言葉になる。そのテクニックで、あえてこの方は『日本死ね』としたのかもしれません」
また、汚ない日本語=不快感を与えるというわけではないとも金田一さんは解説する。
「市場なんかでは『持ってけドロボー』というセリフがありますが、悪い言葉ではありません。むしろお母さんたちは喜んでいるわけで。毒蝮三太夫のお昼の中継の『よく生きていやがった。死にぞこないの汚ないババァ!』などは、とても温かい雰囲気を醸し出しています。もちろん彼の人柄もありますが、汚ない言葉が心にしみるわけです」
一方、丁寧に使っておきながら嫌みにしか聞こえない言葉もあると金田一さん。
「『ドラえもん』のスネ夫のママみたいなのが『まぁいけないんでございますことよ』なんてセリフは、心がこもっていないのは明白です」
とりあえず敬語を駆使しておけば、の安易さが、むしろいまの国語の問題点。言葉の汚なさと心地よさは別。説得力と言葉の汚なさも別であると金田一さんは説く。
では、「美しい日本語でインパクトのある毒を吐く法」はあるのだろうか?。
「よい言葉とは形がきれいな言葉ではなく、自分の言いたいことを100%言える言葉です。真実の言葉は、人の心を揺さぶります。それゆえ、あのブログの文面はこれだけ注目を集めたのです」