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命を授かる妊娠が、出生前診断の後、常に死を意識させられるものになってしまった。「こんなに悲しい出産もあるんだ」と打ちひしがれた。しかし母親は、少しずつ成長していくわが子と向き合うことで、希望を感じるようになっていく。不安に陥るような悲観的な考えを、はねのける強さが身についた−−。

 

「赤ちゃんは、18トリソミーという病気です」

 

昨年3月。藤村晃子さん(43)は出生前診断を受けていた。その結果を成育医療研究センター病院の診察室で一人、聞いた。成育医療センターは、東京都世田谷区にある国内有数の高度な産科、小児科の専門医療を行う国立の施設。聞き慣れない病名に戸惑っていると、医師は今後、起こりうることを説明し始めた。

 

「18トリソミー」とは、染色体異常による重い病い。人の染色体は通常、2本で対をなしているが、おなかにいる赤ちゃんの細胞には、18番目の染色体が3本あった。そのため、生まれてきたとしても、赤ちゃんは心臓をはじめ、体のさまざまな箇所に疾患を抱えていることが予想されるという。

 

「流産や死産に至るお子さんが多く、生まれてこられる確率は10%といわれています。さらに、無事生まれてきたとしても、1歳の誕生日を迎えられる子は、やはり10%ほどです」(医師)

 

つまり、いまおなかにいる赤ちゃんが1歳まで生きられる確率は約1%。そんな、絶望的な数字を淡々と並べられて、藤村さんは頭の中が真っ白になった。どのくらい時間がたっただろう。「次回、赤ちゃんのお父さんと、あらためて来てください」という医師の言葉で、この日の説明は終わった。

 

翌々日。成育医療センターの診察室に再び藤村さんの姿があった。隣にはパートナーの丸山賢介さん(37・仮名)。藤村さんと丸山さんは結婚していない。年上の藤村さんとの結婚を、丸山さんの両親、とくに母親が認めなかった。それでも、おなかの子の父親として、丸山さんは藤村さんと並んで医師の説明を受けた。この2日間、泣くだけ泣いた藤村さんは、冷静に医師の言葉を聞いていた。

 

「妊娠継続を諦める選択肢もある、と言われました。中絶ですよね。それに、出産後、もし自発呼吸していなかった場合、気管切開して呼吸器をつけるかどうか、延命措置をとるかとらないか、みとるのは病院がいいか自宅か……。医師はあらゆることを想定し説明しないといけないんでしょうけど。赤ちゃんの死に方を選んでと言われてるようで、本当に切なかった」(藤村さん・以下同)

 

藤村さんは決心した。

 

「生まれてこられるか、これないか……たとえどちらであっても赤ちゃんの運命に委ねようと思いました。そして、生まれてきてくれたなら、どんなに大変でも、私一人でも、全力で守ってみせるって。何より、私を選んできてくれた赤ちゃんをこの目で見てみたい、そう強く思いました」

 

こうして2015年8月19日。藤村さんは2,486グラムの男の子を出産する。

 

「生まれてくるときは、もう冷たくなってるかもしれないって思ってたから。本当に生きててくれてよかった。目を半分だけ開いて、しょぼしょぼしてる様子がたまらなくかわいかった。こんなかわいい子が私の中にいたんだ、って思ったら、ものすごい幸せな気持ちになりました」

 

10%という狭き門を見事に突破した夏海ちゃん。だが、生まれた直後から新生児集中治療室(NICU)での入院生活を送ることになった。何本ものチューブとコードにつながれたわが子。藤村さんはこの先10%の子しかたどり着けない1歳の誕生日をはるか遠くに感じていた。だが、落ち込みがちな藤村さんを励ましたのは、誰あろう夏海ちゃんだった。

 

「じつは生後2日目で、私に向かってニコッて笑ったんです。でも、あとから聞いたら、生まれてすぐの赤ちゃんはそんなふうに笑わないらしくて。それに18トリソミーの子は笑うことはできないとも言われて。それで、こう思うようにしたんです。なっちゃんは私を勇気づけようとしてくれたんだって。それからは、必要以上におびえるのはやめました。不安を先取りしたって意味がないから。いいことばかり考えるようにしようって」

 

藤村さんはいま、自宅で母子2人の生活を送っている。昼間はベビーベッドで過ごす夏海ちゃんだが、夜はママと一緒のベッドで眠る。

 

「なっちゃんを産んで、たとえ数字が低くても、そこに希望を見つけることはできるとわかったんです。90%の確率で生まれてこないと言われても、なっちゃんは生まれてきてくれた。まれかもしれませんが小学生や、もっと大きく成長した18トリソミーの先輩もいる。だから、周りの人たちにも数字でひとくくりにする固定観念を持ってほしくない。たとえ99%はダメでも、なっちゃんは残りの1%、そう私は信じてるんです」