「そこはもう少し短くしていいわよ。藤は水を飲むよ、飲むよって言っているじゃない。ああ、そこはもう少し抜いていいんじゃないかしら」
ここ、「はままつフラワーパーク」(静岡県浜松市)では、現在10メートルの幅がある名物の藤棚を、さらに5メートル広げるプロジェクトの真っただなか。高さ2.8メートルの藤棚の上まで登り、藤棚の上から指示を出すのは、理事長の塚本こなみさん(67)。塚本さんは、日本初の女性樹木医。’96年、「あしかがフラワーパーク」(栃木県足利市)に、樹齢130年の大藤を移植するという前人未到の快挙をなし遂げた藤の第一人者だ。
移植からほぼ20年だった現在、足利の大藤は、600畳分の藤棚いっぱいに成長。CNNから「映画『アバター』の魂の木のよう」と絶賛され、『世界の夢の旅行先9カ所』に、日本で唯一、選ばれた。夜間のライトアップで浮かび上がる大藤の幻想的な光景は世界中の人々に愛されている。
塚本さんは、経営者としても、その辣腕を発揮する。’99年、あしかがの園長に就任すると、わずか1年で経営を黒字化。’13年から現職に就き、年間30万人を割っていたはままつの入場者数を2年で77万人へと回復させた。はままつでも、現在、あしかがに負けない藤棚を作るべく、さまざまなプランが着々と進行中だ。’20年には“虹色の藤のトンネル”が完成する予定という。
藤棚の上からぐるりと園内を一望すると、塚本さんは再びかがみ込んで、藤のツルや葉を注視し始めた。
「こうして藤棚に上がれば、藤の状況が一目でわかります。私に藤の話をさせると、とても長くなりますよ(笑)」(塚本さん・以下同)
樹木医とは、’91年に林野庁が全国各地の名木を守るために設けた制度で、木の診断や治療、病気の予防に当たる樹木の専門家のこと。資格審査は厳しく、応募するためには、7年以上の樹木に関わる業務経験が必要だ。塚本さんが樹木医にチャレンジしたのは43歳。浜松で造園業を営む夫の仕事を20年余りサポートするうちに身につけ、培った経験が、女性樹木医第1号につながった。’94年に大藤の移植を成功させてからというもの、依頼は今も全国から殺到している。
「ご依頼くださる皆さんにとって、樹木は家族なんです。樹木医になり、樹木の命と真摯に向き合うことになって、私は『この木が死んだら私も死ぬ』という方たちとも向き合うことになりました」
大藤移植の直後のこと。樹齢400年の五葉松の移植を依頼してきた男性がいた。すでに15社に移植を断られた五葉松は、切り倒せば補償費として7,000万円になるといわれた。男性はそれを断り、生かしてほしいと懇願した。大がかりな作業となったが、移植は無事、成功。ところが、そのわずか4日後、依頼主の男性は急逝してしまう。
「奥様は『主人は、満足だったと思います。でも、まるで自分の命と引き換えみたいで……』と、おっしゃって」
移植から3年後、その五葉松が松くい虫にかかって枯れた。移植が原因でなくても、塚本さんに深い悔恨が残った。
「私にもう一歩、深い愛情が足りなかったからなのでしょう。天狗になっていた証拠です。私はこのとき、自分の傲慢さを学びました」
樹木医として、ものも言わず佇む木と向き合うたびに、塚本さんは自分の小ささを感じるようになったという。
「たかだか70年も生きていない私が、何百年と生きている木を『治してやる』だなんて、おこがましいんですよ。私は木のように生きたい。樹木は私の恩師です」
むこう4年、70歳過ぎまでの予定は仕事でぎっちり詰まっている。美しい藤を咲かせてくれという依頼に応え、全国を飛び回る。近年は台湾や韓国からも熱烈なオファーを受け、日本の花である藤を世界に咲かせに出かけている。