世界各国で相次いで女性リーダーたちが活躍している。だが、過去、世界には大勢の女性リーダーたちがいた。彼女たちはさまざまな足跡を残している。日本でも古代や中世には、女性リーダーが何度も出現している。そこで一つ疑問が浮かぶ。なぜ近世以降は男性のリーダーばかりなのだろうか。
「日本で女性たちの地位が低くなったのは戦国時代以降なんですよ」と語るのは河合敦・多摩大学客員教授だ。河合教授は続ける。
「中世までは結婚は婿取り婚で、夫が妻の家に通っていました。子どもも妻の家で育つ女系制度だったんです。それが戦国時代あたりから、力で支配する世の中になり、夫が嫁をもらう家制度が確立していくなかで、女性の地位が低くなってしまったんです」(河合教授・以下同)
この事実を前提に、戦国時代以前を振り返ってみよう。2人の強力な女性リーダーが思い浮かぶ、と河合教授は言う。北条政子(1157〜1225)と日野富子(1440〜1496)だ。
「まず北条政子です。鎌倉幕府を開いた源頼朝の妻として、二代、三代の将軍を産み、最終的には自らが『尼将軍』、つまり事実上の四代将軍といわれるほどの実力者でした」
しかも政子は、夫への愛も深かった。当時、側室=愛人を持つことは当たり前だった。しかし政子は、これを許さず、頼朝の愛人宅を破壊してしまったのである。そして、朝廷が幕府から実権を取り戻そうとして起こった承久の乱(1221)の際には、揺れる武士たちを名演説で一つにまとめあげて勝利をおさめた。このリーダーシップは圧巻だ。
「もう1人、強力な女性といえば、やはり日野富子でしょう。この人は、お金の力を知っていた人です」
この日野富子、ほんとうにお金に対する執着が強かった。室町幕府の八代将軍・足利義政の正室だった富子は、あの応仁の乱(1467〜1477)の原因を作ったともいわれている。しかも、応仁の乱の最中にはいずれの軍にもお金を貸しつけて、もうけていた。そんな富子は、金の本当の力を知っていた。
「お金で大内氏を撤退させることで、10年間続いた戦いを終結させ、京都に平和をとりもどしました。日野富子と北条政子、彼女たちはいずれも、自らが信じるところを貫いた人物ですね」
たしかに、日本の古代や中世の女性リーダーたちは、いずれも信念にもとづいて、真っすぐ自分のスタイルを曲げなかった人物が多い。ひるがえって現代、日本では「渡り鳥」と呼ばれる女性政治家も現れるなど、混沌としている。果たして将来の、日本の女性リーダーは、こうした歴史の系譜に連なるタイプになるのだろうか。