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昭和の時代には、街の繁栄の象徴でもあったデパート。それがいま、地方都市を中心に次々と消えつつある。そんななか、街のシンボルだった跡地を再生し、残す方法を模索する人は少なくない。そんな人々の奮闘を追った。

 

JR花巻駅から徒歩10分。シャッターが閉まったままの商店が散見される上町商店街の一角に、マルカン百貨店がそびえていた。創業1973年。駅前商店街の中心であり、花巻のシンボルともいわれた老舗百貨店が今年6月7日、多くの市民に惜しまれつつ、43年の歴史に幕を下ろした。

 

それから5カ月。現在、急ピッチで改装工事が進められているマルカン内部に入る。エレベーターで一気に6階まで上がると、そこはマルカン名物の大食堂。目の前には、おいしそうな食品サンプルが並ぶ陳列ケースがそのまま残っていた。日ハム大谷翔平選手や西武ライオンズの菊池雄星選手も、花巻東高校時代に、この大食堂に通ったといわれている。

 

レトロな、板から突き出たくぎ状の食券差しを指さし「昭和を感じるでしょう。ほとんどの物は43年前の開業時のまま。大食堂だけは、可能な限り、そのままの形で存続させるというのが僕らの基本コンセプトの1つです」と話すのは、「上町家守舎」社長・小友康弘さん(33)。小友さんはマルカン閉店直後に上町家守舎を設立。マルカン大食堂の正統な後継者として、跡地となるマルカンビルの運営を引き継ぎ、この食道だけは残そうと奮闘中なのだ。

 

6月7日、マルカン百貨店が閉店すると、その1週間後には、ネットを通じて不特定多数から資金を調達するクラウドファンディングをスタート。初期費用6億円のうち目処がたっていない2億円の一部を全国から募った。SNSでも「大食堂存続に協力を!」と呼びかけ、拡散させた。日々刻々と増えていく資金額が一目でわかるネット上のシステムは、それだけで宣伝効果があった。

 

そして迎えた8月31日。初期費用が6億円から3億円弱に引き下がり、クラウドファンティングなど寄付の協力者は683人に上り、総額2,112万9,000円が集まって、来年2月の復活が決まった。

 

「SNSやネットの時代には、今までの価値観を変えて、生かせるところは生かして無理な大型投資はしない。同時に、地域に眠っている文化を大事にしながら、それらを活用することが求められていると思います。マルカン大食堂の再生がモデルケースになればいいなと思っています」(小友さん)

 

新潟県長岡市にあった老舗百貨店「大和長岡」も、デパート業界を取り巻く厳しい現状のなかで、’10年に閉店した。’58年、新潟県で戦後初の百貨店として開業した大和長岡は、駅から真っすぐ延びる大手通りにそびえる町の活況のシンボルだった。

 

閉店当時、長岡市は「安心安全な街づくり」を目指して空き店舗対策を始めていたこともあり、市がデパート跡地を買い受けることになった。建物は大手通り商店街に運営を任せることで、商店街の再開発につなげようと、行政と商店街がタッグを組んだ。これを起死回生のチャンスと考えた、長岡市商店街振興組合連合会理事長・安藤栄治さん(60)を中心に、商店街の人たちも結束。百貨店跡地は、名称を「カーネーションプラザ」と改め、アンテナショップをメインに再生した。

 

明るく広い1階フロアに入ると、名産品や銘菓、雑貨小物、民芸品などが目に飛び込んでくる。町村合併した市町村の特色ある名産品が常時300種以上、売られている。イベントスペースには、ライブや演奏会にも対応できるようピアノも置かれていた。定期的に多彩なイベントを開催し、商店街の店が展示会などをするときは、ほぼ無料で貸し出すなど、サテライト店舗としても利用されている。

 

安藤さんの本業は、イベントやパーティなどの企画・演出会社の経営だ。そのプロデュース力を買われ、次々にアイデアを出している。この夏は、プラザ裏手にある商工会議所で大がかりなオバケ屋敷を開催。10日間で4,500人が集まった。

 

「8割は女子高校生と女子中学生。いまの子どもらは、楽しかったらネットで拡散してくれるから、翌日また、友達が押し寄せて、本当に大勢のコが来てくれましたね」(安藤さん)

 

イルミネーションをともし、プラザ前の32メートル道路を全面通行止めにして、ビアパーティも開催した。ここを拠点に、かつてのにぎわいを取り戻し、街が再生できたら……。あきらめムードだった商店主たちも、希望の光が見え始めている。

 

かつて百貨店は、家族でお出かけする、楽しくてワクワクできる、笑顔になれる場所だった。時代が移り、百貨店という形は変わっても、同じ笑顔はきっと、取り戻せる。経営者たちの夢は、未来に向けて大きく膨らんでいた−−。

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