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映画監督・熊谷まどかさん(48)は、母・柊幸子さん(82)が2年ほど前から罹患しているレビー小体型認知症をモチーフに脚本を書き、映画『話す犬を、放す』を撮影した。これまでは短編映画の製作が中心だった熊谷さんにとって、本作は商業映画デビュー作となる。

 

認知症を扱っているとはいえ、映画のトーンは淡々としていて、悲愴感がなく、病いの母と娘の日々がリアルに紡がれていく。レビー小体型認知症という病名を聞いたことがない人も多いかもしれないが、アルツハイマー型、血管性とともに、認知症を生じる3大原因疾患の1つ。’90年代後半になってしられるようになった比較的新しい病気だ。

 

幸子さんの主治医を務めるしろ内科クリニックの城洋志彦医師はこう語る。

 

「脳の広い範囲にレビー小体という異常なタンパクがたまり、脳の神経細胞が徐々に減っていく進行性の病気です。初期では、物忘れなどの症状よりも“幻視”が特徴的です。そこにいないはずの人、あるはずのないもの・動物などが見えます。動作が遅くなるなどのパーキンソン症状をともなうこともあります」

 

生真面目で勤勉な人に発症が多い傾向があり、病気が進行すると、できないことが増え、徐々に寝たきりになっていくという。

 

「私は、どこか母の病気を面白がっているところもあるというか。私も幻視を見てみたいって思うんですよね」(熊谷さん・以下同)

 

城医師によれば、レビー小体型認知症患者と接する際に大切なことは「受容と共感」だという。それが患者自身の幻視に対する恐怖を軽減してくれる。幻視を面白がることで、母の病いを受け入れようとする娘を、幸子さんはいとおしそうに見つめていた――。

 

熊谷さんは34歳のときに映画学校ニューシネマワークショップに参加。そこで監督した短編映画が若手監督の登竜門「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)2005」で賞を獲得。翌年は自主制作作品『はっこう』でPFFグランプリを受賞した。以後も国内外の映画賞に輝き、高い評価を得てきた。だが、短編映画でどんなに評価されても、映画監督としては認められないのがいまの日本だ。

 

「たとえPFFでグランプリを取っても、なかなかその先にある長編映画、商業映画の世界には進めないんです」

 

監督として収入を得られる映像制作の仕事は、年に1本あるかないか。熊谷さんはパートで稼いだお金で、自主制作映画を撮り続けたが、何年たっても長編を撮れない焦りもあった。

 

「新人と言われてはや10年。長編の脚本も何本か書きましたが、どうしても映画にしたいような脚本が書けなくて」

 

幸子さんの病気がわかったのは、そんなころだった。

 

「認知症って病名がついちゃうのは、やっぱり怖かったですよ。認知症のイメージってあまりにも絶望的すぎるじゃないですか。どんどん人格が崩壊して、母が母でなくなってしまうという恐怖心が私にもありました。この病気の症状の1つなのですが、そこに存在しているものが本物に思えないこともあるそうです。私も母に言われたことがあります。『ニセモノのまどかちゃんのくせに、まどかちゃんのふりをして、お料理なんかして』って」

 

だが母の闘病と向き合ううちに病気に対するイメージも変わっていった。「認知症は決して絶望ではない」と、気づいた熊谷さんは、この病気を、長編映画にしてみようかと思いつく。

 

「私はこれまで、ハートウォーミングな作品とか、家族物語とかを毛嫌いしていて、避けてきたんですね。だから私の作品はシニカルでシュールな作品ばかりで。それが自分の作風かなって思っていましたが、それだけでは長編は作れない。私のなかで何か変わらなければいけないだろうなってことは漠然と思っていたんです」

 

熊谷さんは、幸子さんの発病で頻繁に帰省するようになっていた。行くたびに、少しずつ“できないこと”が増えていく母の姿を目の当たりにするうちに、母への思いが変わっていく自分に気づいたとき、するすると長編のストーリーが生まれてきた。自分でも不思議なほど素直に、苦手意識の強かった家族をモチーフとした長編『話す犬を、放す』の脚本が書けてしまった。

 

その脚本がSKIPシティ国際Dシネマ映画祭のシナリオコンペを通り、映像化。昨年の映画祭のオープニング作品として上映され、現在は全国で順次公開中だ。

 

「以前の私は『見たい人が見てくれたら、それでいい』と思っていました。でも特にこの映画は、誰かの何かに届いてほしい。そう強く思います」

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