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6月最初の日曜日、東京・上野の貸しオフィスの一角。「イブラ・ワ・ハイト」の主要メンバー8人が集まり、定例会議が行われた。イブラ・ワ・ハイトとは、アラビア語で「針と糸」のこと。紛争の続くシリアの女性たちが伝統技法で手縫いした刺繍を適正価格で買い取り、日本で販売することで自活支援を続けている。

 

’11年3月の内戦勃発以来、人口およそ1,850万人の半数以上が国外へ避難し、50万人近くが命を落としたとされるシリア。今年4月も、北西部のイドリブ県への空爆でサリンが使用された可能性があるとされ、口から泡を吹いて痙攣する子どもたちの映像は世界中に衝撃を与えた。最近では、「イスラム国」との関連で語られることも多い。

 

「過激派が口実にしているだけで、宗教と残虐なテロはまったく結びつきません。私たち母娘も無理にイスラムの習慣を押し付けられていたら、異国での生活は続けられなかったでしょう」

 

そう話すのは、考古学者の山崎やよいさん(59)。イブラ・ワ・ハイトの始まりは、シリアで紛争が勃発した2年後の’13年5月。彼女が中心となり、仲間と立ち上げた。山崎さんは、20年間もの間、シリア第二の都市であるアレッポに暮らし、多くの遺跡を発掘するとともに、シリア人の学芸員・ハミードさんと再婚し、’90年に日本から連れてきた幼子の子育てもするなど、イスラムの生活を肌身で体験してきた。それだけに、現在のシリアが置かれている状況に加え、この国が日本ではテロと結び付けられて語られることが悔しくてならないと嘆く。

 

いま、’12年2月に心不全で急死したハミードさんが眠るアレッポ郊外のビレラムーン村は、激しく破壊されたため誰も住んでいない−−。紛争が続き、そこで生まれ育った人も故郷を捨てざるをえないという悲惨な状況のなか、かつて傷心の自分を温かく受け入れ、子どもをたくましく成長させてくれたシリアの人々のために、日本にいる私に何ができるだろう。熟考した末にたどり着いたのが、シリア刺繍を使った女性たちとの協働作業だった。

 

「実は、まだ国も比較的穏やかで、あちこちに発掘に行っていたころ、主人が、村々の家の土壁に飾られていた刺繍を気に入って、収集していたんです」(山崎さん・以下同)

 

作り手となったのは、子どもや夫を紛争で亡くしたり、家族と離ればなれになる過酷な体験をした女性たち。彼女らにとって刺繍は、すぐに生きがいとなった。

 

「刺繍をしている時間だけは、紛争の恐怖やつらさを忘れられる、と女性たちは言います。逃げるときは、針と糸を必ず持っていくとも」

 

彼女たちが、自らの稼ぎで我慢していた口紅を買ったり、家族と少しだけごちそうを食べたと聞くと、山崎さんはホッとする。

 

「糸などの材料と売り上げを日本から送り、それでシリア人女性たちが刺繍したワッペンや“くるみボタン”などの商品を送ってもらうシステムですが、いずれ国の状況が安定したときには、彼女たちのビジネスとして自立してほしい」

 

ちなみにシリアでは労働者の日当が1日100円単位という場合もあるなかで、“くるみボタン”の500円という収入は、大きな糧に違いない。

 

あるとき、「生命の樹」というタイトルの刺繍が送られてきた。50センチ四方の大判の布地に、刺繍で描かれた1本の木。周囲には赤、黄、オレンジ、紫など色鮮やかな花が咲き誇っていた。

 

「古来から、メソポタミアには、生命を1本の樹木にたとえる思想があるんです。でも、伝統の絵柄という以上に、もう一度、シリアの町に美しく平和な花を咲かせたいという女性たちの願いが伝わります」

 

山崎さんは命そのものにふれるように、刺繍の施された商品を両の手で包み込みながらこう語る。

 

「一針一針に込められた、彼女たちの思いを感じてもらえるとうれしいです」

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