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「私自身、かつては相談する側でしたから。カウンセリングを申し込むだけでも、とても勇気がいることを体験しています」

 

こう語るのは、恋愛カウンセラー・羽林由鶴さん(52)。彼女のHPのプロフィールにはこうある。《DV・離婚・体型コンプレックスを乗り越え、体重103kg、バツイチ子持ちでありながら、13歳年下の東大生と出会い、結婚》。羽林さん自身、外見コンプレックスに悩み、死をも考えた時代を越えてきた。

 

教育関係の出版社勤務を経て、恋愛カウンセラーとして独立して、すでに12年。著書も11冊を数え、最近では、恋愛のみならず、コンプレックス克服や生き方を見つめ直すセミナー、各種の会話術の講師として、全国の自治体からもお呼びがかかる。

 

振り返れば、30代の前半まで、羽林さんはずっと、体形コンプレックスに振り回される日々だった。

 

「子どものころの私は、口も達者で、何でもできる子。ただ、幼稚園の毎月の身体測定だけがすごく嫌で。そのころから体重にコンプレックスを感じていましたね」(羽林さん・以下同)

 

幼稚園の身体測定で、「いちばん大きいのは由鶴ちゃん」と、発表されるたびに傷つき、母親同士の会話でも「由鶴ちゃん、本当に大きいわね」と、必ず言われることに傷ついた。小6で体重が60キロを超え、中学卒業時には70キロ。高校時代は、単品ダイエットが成功し、一時は60キロまで減量できたが、リバウンドを繰り返し、大学卒業時には84キロになっていた。

 

親しい男性ができても、「太い」「丸い」と思われるのが怖くて、その先に進めない。いつしか「付き合うなら、私より体の大きな外国人」と、考えるようになっていった。教育系の出版社に入社してからは、女友達と米軍キャンプに出入りした。大柄なアメリカ人のなかにいるときだけ、体重のことを忘れられた。

 

自宅を出て一人暮らしを始めた24歳のとき、出会ったのが元夫だ。彼は、1歳年上のアジア系外国人。’91年6月に2人は結婚。配偶者ビザを取得した彼は、ケーキ店で働きだすのだが……。

 

結婚してすぐのころだった。彼が突然、「リラックスして、いいかな」と言った。羽林さんが、笑顔で「もちろん」と応じた次の瞬間、マグカップが彼女めがけて飛んできた。

 

「何が起きたのか、一瞬、わかりませんでした。続いて、彼は扇風機のカバーを外し、なかの羽根を1枚ずつ、手で折り始めたんです。私の記憶はそこで途絶えました」

 

そんなことが、たびたび起こった。作った食事を投げ捨てられ、5回も作り直したこともある。だが、直接殴られることはない。ただ、投げられたカップや皿から、料理が飛び散り、「殺すぞ」と脅される。かと思えば、傘でどんどんと、折れ曲がるほどの力で床をたたいた。

 

「その音がすさまじくて、私は震えるばかりでした。それでも、当時の私は自分が悪いと思っていました。私が悪いことをしたかな、食べたくないモノを出したのかな、と」

 

’94年、長男が生まれると彼は子煩悩なパパになった。しかし、いきなり始まる暴力が止まることはなかった。長男が2歳になったころ、ついに彼は、かわいがっていた息子まで投げ飛ばした。突然、キレる夫。キレる原因がわからない。酔って、暴れるわけでもない。追い詰められて、羽林さんは円形脱毛症になり、過食やうつに悩まされた。

 

「仕事を終え、帰宅する駅のプラットホームでは、絶対に端に立たないようにしていました。飛び降りたくなるから。死にたいと思っていました」

 

意を決して、夫婦でカウンセリングを受けた。

 

「しぶしぶでしたが、彼が運転して一緒に行きましたから、彼自身、原因がわからなくて、悩んでいたのかもしれません」

 

メンタルヘルス・クリニックの女医は、彼だけ待合室で待たせて羽林さんに「離婚すればいいでしょう?」と言った。羽林さんが「でも、子どもも小さくて。夫の暴力さえ止まれば……」と答えると、女医は「あなたの会話には『私』がないのね。『夫が』『子どもが』と、人のせいにばかりしていますね。旦那さんを変えようとするのは、あなたのエゴ。これは、あなた自身の問題なんですよ。ご主人を変えるのではなく、あなたが変わればいいんです」と話したという。殴られたような衝撃が、羽林さんを貫いた。

 

女医から渡された小冊子には「共依存」とあった。

 

「小冊子には、うちで昨晩、起きたこととそっくりなことが書かれていました。その家庭では、最終的に夫婦が刺し違えて死んでいました」

 

自分で考えて生きよう。強く決意した彼女は、夫に「離婚したい」と伝えた。もちろん、すんなりとはいかず、元夫は手がつけられないほど暴れだし、羽林さんは命からがら逃げだす。離婚問題を抱えるなかで、彼女は自分で考えて生きるための訓練を始める。

 

「私には主語がないという女医さんの言葉が最大のショックで。そこで、ふだんから『私はお茶を飲みます』『私は会社に行きます』と、『私は』を意識して、話したり、行動するようにしてみたんです」

 

特別なことをしたわけではない。しかし、日常のなかでできる小さな意識改革の積み重ねが、少しずつ自分の力になっていくことを実感できた。数々の修羅場をくぐり抜け、ようやく離婚が成立したのは’01年のこと。体重は、ストレスからだろう、103キロになっていた。だが、晴れて自由の身になった羽林さんはあることに気付く。

 

「なぜかモテるようになっていたんですよ」

 

離婚後の3年間で、5人の男性から次々にプロポーズされた。そのなかに、大学院卒業を控えた現在の夫・サトルさん(39)がいた。結婚は’04年のクリスマス。サトルさんの就職も決まり、2人だけで結婚式を挙げた。

 

羽林さんは、「いまの社会には『自信信仰』があって、自信さえあれば、すべてがうまくいく。そう思いませんか?」と語る。

 

自信さえつけばと、ダイエットや資格取得など、自信をつけることにばかり翻弄されて、結局、前に進めない。ならば、自信を持つことは諦めて、そのままの自分で、やりたいことに一歩踏み出す勇気を持つ。ありのままの自分で、少しずつ人間関係を築いていく。それが、羽林さんが自身の経験から得たアドバイスだ。

 

「自信って、つけようとしなければつくんですよ。これくらいでいいのかなって思えたら、それこそが自信なんです」