あれから丸2年。新北上大橋のたもとに廃墟のように残された校舎がある。東日本大震災後の大津波により、全校生徒108人のうち70人が犠牲となり、今も4人が行方不明の宮城県石巻市立大川小学校。

 

なぜ地震発生から津波到着までの51分間、子供たちは恐怖に震えながら校庭で待たされなければならなかったのか。尊い命を失わなければならなかったのか。今年2月に実施された『第1回大川小学校事故検証委員会』に、遺族側の参加はかなわなかった。

 

「頭ではわかっているつもりでも、いまでもひょっこり現れてくれるんじゃないかと思ったり。あのとき、学校を信じた私の判断が間違いだった……」と、犠牲になった紫桃千聖ちゃん(享年11)の母親のさよみさん(47)が目頭を押さえながらいう。

 

同じ石巻市では、震災当日、人々が上へ上へと逃げるなか、幼稚園バスが海方向に向かったことで5人の園児が命を落としている。日和幼稚園訴訟は、うち4人の遺族が’11年8月、幼稚園と当時の園長を相手に損害賠償を起こしたものだ。

 

「この裁判は市として震災による初めての訴訟となりました。大川小もそうですが、最後にどういう状況だったのか、その真実を知りたいという親心なんです」と石巻日日新聞の外処健一さん(39)。

 

幼稚園バスで命を失った佐々木明日香ちゃん(享年6)の母親のめぐみさん(33)は、3度めの3月11日を前にこう語ってくれた。

 

「あの日がくると、家族は体調をくずしがちなんですよ。なんだかね、3月11日で1年が終わるような感じで。私たちは毎年3月11日がくるたびに、必ず平成23年3月11日にリセットされるんです……でもね、夫婦げんかはしなくなりましたね。なんだか明日香が『けんかしないでよ』って言ってるようで」