東日本大震災から2年。あの日に生まれた子どもたちは、2歳の誕生日を迎えた。復興の途上にある被災地のうえを流れた月日。730日という歳月は、子どもたちが立派に育つ時間でもあった——。

 

◆福島第一原発からわずか2キロの、福島県いわき市の病院で星山琉菜ちゃんは産声を上げた。大きな余震が続くさなかの帝王切開手術。やっとの思いで生まれてきた新しい命に、病院スタッフや居合わせた患者から歓声と拍手がわき起こった。ところが、翌日『原発が危ない』との急報に、母・真弓さんと父・晃一さんは、生まれたばかりのわが子を抱え、福島市の病院へ避難を余儀なくされる。

 

「バスが揺れるたびおなかに激痛が走り、縫合箇所からは出血もしていました。ミルクを飲めず火がついたように泣く琉菜を抱っこしての、長時間の移動は本当につらかったです」(真弓さん)

 

琉菜ちゃんは昨夏に甲状腺検査を、今年に入って血液検査を受けた。幸いなことに、どちらも結果は『異常ナシ』だったが、決して油断はできないという。真弓さんは娘の成長について、「最近、琉菜がアンパンマン体操を完璧にマスターしました。自分で歌いながら体操するんですよ」と話している。

 

◆2年前の3月。千葉県に住む青山暁子さんは、里帰り出産のため実家のある宮城県亘理町にいた。震災の前日に破水し、入院。地震に襲われたのは分娩準備室で待機していたとき。余震が続くなか、出産が始まった。

 

暁子さんは「予定日はまだ少し先だったんです。もし予定日どおりの出産だったら、実家にいて、津波にのまれていたでしょうね」と当時を振り返る。海から5キロの場所にあった実家は、ほぼ全壊。泥だらけになった産着を洗って、生まれたばかりの礼央くんに着せた。父・丈太朗さんと対面できたのは、出産から1カ月後のことだった。

 

礼央くんは、今では絵本が大好きな男の子に成長。一人で黙々とページをめくることもできる。特にお気に入りの『やさいだいすき』は、「やさいをたべて、げんき、げんき」と文章を暗記しているほど。

 

「多くの人に助けられて生まれてきたので、名前にもその感謝の気持ちを込めました。人の温かみのわかる人に育ってくれたら」(暁子さん)

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