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「自衛隊は男女平等の組織で、能力主義だと思います。よく『女性自衛官初』といわれますが、たまたま私が女性だったというだけのこと。女性ということがキャッチーだということはわかりますが、そこまで騒いでいただけるのは、ちょっと不思議です」

 

《陸上自衛隊 第6後方支援連隊連隊長 1等陸佐》澤村満称子さん(46)は、山形、宮城、福島3県の防衛、警備、災害派遣に従事する第6後方支援連隊約700人のトップに立つ。陸上自衛隊初の女性連隊長だ。昨年8月、現職に就任。階級の「1等陸佐」は、国際的には「大佐」に当たる。

 

澤村さんの連隊の主な任務は、器材の整備や補給、輸送、物資の補給・連絡などの兵站や衛生支援など。災害派遣の現場では、避難所の入浴支援等の生活支援も任される部隊だ。

 

澤村さんは’71年10月3日、東京生まれ。名古屋の南山大学ではフランス語を専攻。大学卒業後1年間“プータロー”の時期があったという。

 

「そのころはイベント・コンパニオンの仕事を名古屋でしていたんです(笑)。というのも、私は外務省に行きたかったんですけど、受からなかったんです」(澤村さん・以下同)

 

外務省を目指したのは、大学時代のフランス語の恩師、渡邊頼純先生(現・慶應義塾大学教授)の影響だった。

 

「渡邊先生が『国際的な機関を目指してください』と、おっしゃるので(笑)」

 

渡邊先生自身は、ベルギー留学中、海軍提督の家にホームステイした経験から、軍人に対して非常にいいイメージがあったという。先生に「外交と軍事は表と裏です。本来、軍人は、社会的なプレステージが高く、見識豊かになれる職業です。自衛隊はどうですか?」と言われ、軽い気持ちで受けたのが、自衛隊の幹部候補生試験だった。

 

「そうしたら、受かってしまって。『国防の任に燃えて』ということもなく、ポコッと合格してしまったんです」

 

’95年、幹部候補生学校に入校。’96年、第13後方支援連隊補給隊から、そのキャリアをスタートした。とはいえ、心の中は不安しかなかった。

 

「極めて不適切ですよね。入隊の動機が脆弱で、そもそも義理で受けただけ。『入隊しても、マックス3年』なんて言っていて。腰掛けOLくらいのつもりでしたから」

 

それでも入隊したのは、当時、交際していた彼が、「自衛隊いいんじゃない?」と、言ったから。いわば“でもしか自衛官”。軽~いノリでの入隊だった。

 

「ですから、自衛官になった10年間は、本当に悩み続けました。このまま自衛官でいていいものだろうか、と--」

 

自衛隊での生活は、カルチャーショックの連続だった。

 

「最初から、陸・海・空の一般幹部候補生としての扱いでした。私は乗り物がまったくダメで、船は極端に船酔いするので、海自という選択肢はありませんでした。陸自にも思い入れはなかったんです」

 

同期の幹部候補生のほとんどが、防衛大学校の卒業生。すでに、自衛隊幹部として役割も、隊の雰囲気も、おぼろげながらわかっていたはずだ。しかし、カトリック系大学出身の澤村さんにとっては、自衛隊は別世界。

 

しかも、入隊時に配属された7000人の部隊の中で、女性幹部は澤村さん、たった1人だけだった。

 

「そんなぽっと出の、20歳そこそこのお姉ちゃんがですよ。いきなり小隊長になるんです。18歳から54歳までの20人ほどの男性ばかりの小隊を持ったわけです」

 

何度も転職を考えた。もやもやした思いは、10年も続いた。

 

「常に、辞めたかった。できれば、逃げたいと思っていました。それでも、逃げなかったのは、部下がいたからです。何にも知らない私を一心に支えてくれるんですよ、20人の部下たちが」

 

あるときは、運動が苦手な澤村さんの駆け足のタイムを縮めようと、部下が総出で応援してくれたという。

 

また、澤村さんの入隊当時は、女性自衛官もごく少数で、男女別の施設はなく、お風呂は男女入替え制だった。そんな環境の中、別の部隊の男性に、お尻を触られたこともあったという。

 

「でも、そのとき私の部下が烈火のごとく怒ってくれたんですよね。『うちの小隊長に何をするんだ!』って」

 

部下たちが、常に敬意を払って、誠実に接してくれることが、澤村さんをリーダーとして成長させていった。

 

「この人たちを置いて、逃げちゃいけないと思ったんです」

 

30歳を前に、京都の関西補給処で組織改編に携わったとき、幹部として業務を作り上げる厳しさ、辛さと同時に面白さを知った。同じころ、アメリカに留学し、日本を外から客観的に眺める機会もあった。このころようやく、リーダーとしての覚悟が固まった。

 

「日本人は生真面目で誠実。精細な心遣いができる。人と人との関係が素晴らしい。この国を守りたい。そう心から思えるようになりました」

 

20代で感じた重圧も、もはや悪い思い出ではないという。

 

「私は人に恵まれました。いい上司や同僚、部下がいた。連隊長を1人育成するには20年かかるといわれます。その20年間の上司、部下、同僚の思いがあって、私をここに座らせてくれているんです」

 

澤村さんは、リーダーとして、適材適所に人員を配置する立場だ。そのとき、男性よりも女性の方が向いている場面もあるという。

 

「とくに被災地では、女性や子どもに対する支援は、女性がその任務に就くメリットがありますね。女性のほうが、生活全般にきめ細かく目が行き届きやすいですから。女性自衛官のニーズは年々、多様化しています。女性のほうが、男性より警戒されず、安心される場所もあります。イラクのオペレーションのときには、女性を使って、現地にいた市民のニーズを正確に調べることができました。世の中の半分は女性です。ですから、自衛隊に対するニーズの中にも、女性が活躍できるものがたくさんあると思っています」

 

澤村さんは、女性が防衛大に入れなかった最後の世代だ。1期下から続々と防衛大卒の女性が入隊するようになり、女性自衛官は一気に増えた。

 

「これから、後輩たちの中から、役職につく女性が増えていきます。今後は、そんな後輩たちのマイルストーン的に頑張ろうと思います。10年、悩んで逡巡した結果、私はやはり、この仕事が好きなんだと思います」

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