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《もうパパとママにいわれなくても しっかりと じぶんから きょうよりはもっともっと あしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします》と大学ノートに“悲痛な叫び”を書き残していたのは、両親から虐待を受け3月に亡くなった船戸結愛ちゃん(享年5)。

 

船戸優里容疑者(25)の連れ子だった結愛ちゃんは、再婚した父・船戸雄大容疑者(33)から執拗な暴力を受け続けていた。眠るときは両容疑者とその間に生まれた長男(1)がいっしょで、結愛ちゃんだけが別の部屋。自分で目覚まし時計をセットして毎朝4時に起床し、体重測定とひらがなの書き取り練習をするよう命じられていたという。

 

「2月下旬に雄大容疑者から顔面を殴られた後、結愛ちゃんはほぼ寝たきり状態。病院にも行かせてもらえず、嘔吐を繰り返していたそうです。3月2日になって雄大容疑者が119番通報しましたが、病院で息を引き取りました。搬送時の彼女はあばら骨が浮き出るほどやせ、顔や体はあざだらけ。5歳児ですが、おむつをつけていたといいます」(社会部記者)

 

日常的に受けた暴力により、結愛ちゃんは免疫にかかわる臓器が委縮。司法解剖の結果、同年代の5分の1程度の重さしかなかった。死亡時の体重は12kgで、平均体重である20kgを大きく下回っていたという。なぜまだ5歳の少女が、冒頭のような許しを請わなければならなかったのか。そして、なぜ周囲は彼女を救えなかったのか――。

 

「事件が起きた要因は、2カ所の児童相談所による“対応のまずさ”に尽きるでしょう。児相は、親の虐待から子どもを守らなければならない。その認識があまりにも甘いです」

 

大阪児童福祉事業協会の津崎哲郎理事長は、そう断罪する。2カ所とは、香川県と東京都の児童相談所だ。優里容疑者が雄大容疑者と再婚したのは16年。当時、一家は香川県善通寺市に住んでいた。県の児童相談所「西部子ども児童相談センター」は同年12月25日、結愛ちゃんを一時保護。だが17年2月に措置を解除している。

 

そして3月19日、パトロール中の警察官がひとりで外にいる結愛ちゃんを再び発見。傷だらけの彼女が「お父さんに叩かれた」と訴えたため、2度目の一時保護が決定した。にもかかわらず県の児相は、その2カ月後に一時保護を解除しているのだ。

 

18年1月中旬、一家は東京都目黒区へと転居。こうした場合、香川県の児童相談所から東京の児童相談所へと引継ぎが行われるもの。だが今回は電話のみだった。引っ越しから1カ月がたとうとしていた2月9日、品川児相の職員は結愛ちゃんの自宅を訪問。だが、応対したのは優里容疑者のみ。結愛ちゃんには会わせてもらえなかった。

 

また2月20日には小学校への入学説明のため、関係職員が自宅を訪問。だがこのときも結愛ちゃんには会えなかった。実は、このころから雄大容疑者の暴行はエスカレート。1月下旬から満足な食事も与えられておらず、栄養失調状態に陥っていたという。会えば、必ずその緊急性に気づくような状態だったはず。しかし5歳の少女の「SOS」は届かなかった。品川児相を管轄する、東京福祉保健局の少子社会対策部家庭支援課の担当者はこう語る。

 

「品川の児相職員は面会に行ったとき、母親には会いました。ただ児童本人や父親には面会できなかったとのことで、そのまま時間が経過していました。その結果として事件に至ってしまったことは、反省している点です。早めに再度訪問して、児童本人に面会すべきでした。面会を拒否する家庭の場合、今後はどうしていくべきなのか。その検証を速やかに行っていき、これからの事例に生かしていきたいと考えています」

 

だが、結愛ちゃんには「これから」がない。救えたはずの命は二度と戻ってこない――。

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