創業215年、京都市下京区にある老舗和菓子店「亀屋良長」は、江戸時代に高級品だった砂糖を使うことが幕府から許され、宮中に納める「上菓子」を作っていた。

 

「こしあんを丸めて寒天でコーティングした『烏羽玉』は創業当時から伝わるお菓子のひとつです。江戸時代から変わらない製法で、今も10ほどの職人が手作りしています」

 

笑顔で語るのは女将として働く吉村由依子さん(41)。8代目社長の良和さん(44)と、24歳のときに結婚してから二人三脚でのれんを守ってきたが、嫁いでからの17年は闘いの日々だった。

 

結婚して1年ぐらいしてから、お店を手伝うようになると「この会社あかんのちゃう(笑)」と、内情がわかってきたという。ある日、会社の経理を任せている会計士の事務所から呼び出され、夫と2人で訪ねたとき、驚くべき事実を聞かされた。

 

「お店の経営状態がわかる書類を見せてもらったら、借金は数億円にも膨らんでいたのです。バブル景気のときにお店を建て替えたので、建築費が割高で返済が負担になっていました。また、当時は日持ちしないお菓子をメイン商品として売っていて、返品が多かった。自分たちの代で終わらせるわけにはいかないと、既存商品や資材・梱包の見直しを行い、並行して、日持ちのする新製品を開発しようということになったのです」(由依子さん・以下同)

 

たとえば、京都の伝統的なお菓子「懐中しるこ」は、1シーズン200個程度しか売れていなかった。そこに桜やハートをかたどった5種類のゼリーを加え、ゼリーで運勢を占う「おみくじしるこ宝入船」にリニューアルすると、売り上げが125倍にもなった。

 

しかし、それだけでは赤字体質は解消できなかった。若者向けの新しい商品を提案すると、ベテランの職人たちから「変えないことが伝統」と、猛反発。夫からも、「頼み方が悪い。職人さんたちの気持ちがわかっていない」と叱られたという。

 

追い打ちをかけるように、’08年に良和さんに脳腫瘍が見つかり、闘病生活を余儀なくされた。長男はまだ2歳で、子育て、お店の切り盛り、病院の付き添い、商品開発と、駆けずり回る日々。由依子さんは決して投げ出さず、「若い人にももっと和菓子を知ってほしい」という一心で、新作に取りかかった。

 

「縁起物の打ち出の小槌や小判をかたどる木型が倉庫に眠っているのを思い出しました。和三盆糖で型押しし、手ぬぐいの布で作ったぽち袋に入れました。メッセージカードをつけたお干菓子等は、ちょっとした贈り物用にと若い女性たちに喜ばれるようになりました」

 

この「宝ぽち袋」など、女性らしさでニーズをつかんだヒット商品が次々出るようになり、6年ほど前から黒字に転換。売り上げは右肩上がりで借金返済の計画も立った。トンネルを抜けるまで、心が折れそうになったときこそ感謝の気持ちを忘れなかったという。

 

「退院した夫がリハビリにヨガを習い始め、私も一緒に受けるようになりました。その先生の『どんなときでも感謝を忘れずに』という言葉にハッとさせられました。今まで商品にも職人さんたちにも、感謝が足りなかったのかなと。感謝の気持ちを忘れないで過ごしていると、アイデアが次々と形になってきたのです」

 

そのひとつが’16年6月に由依子さんがプロデュースした新ブランド「吉村和菓子店」。夫が病いにかかったことで、ココナツシュガーやメープルシロップ、玄米など健康に配慮した素材を使用したお菓子を考案するように。

 

壁を乗り越えるたびに、マイナスをプラスにする力がついていた。