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創刊60周年の節目の年を迎えた『女性自身』。60年にわたる歴史のなかで、華やかに誌面を飾ってくれたスターや、女性の新しい生き方を提示してくれた有名人を再訪。“『女性自身』と私”の思い出を語ってもらいました!

 

「連載が始まってから22年間、日本はずっとデフレです。デフレはますます深刻になり、脱却の見込みはないでしょう。当時も今も『借金減らして現金増やせ』は変わりません。変わったのは顔だけね」

 

そう笑う荻原博子さん(64)。連載が始まった’96年は、働くママだった。時間に追われる毎日でも、夕方以降は子どもとの時間を確保し、原稿は朝早く起きて書いた。

 

「おかげで“時短手抜き術”が、山のように身につきました。玉ねぎ、にんじんのみじん切りとひき肉を炒めて、板状に冷凍したものを“レインボー食材”と呼んで、和洋中のいろんな料理に使いまわしていましたね」

 

荻原さんといえば、日本経済や家計について、テレビでわかりやすく解説する姿が印象的だが。

 

「実は、小さいころからの夢は物書きになること。テレビも好きだけど、書く仕事がいちばん好き」

 

そんな荻原さんは、以前、『女性自身』編集長の言葉に、大きな衝撃を受けた。

 

「『女性自身』は、地方で汗水たらして働く女性のための雑誌だから、さらっと読めてわかりやすくおもしろく書けって。今も物書きとしての教訓にしています」

 

とはいえ22年間、毎週休むことなく、お金の話題を書き続けるのは、大変ではないのだろうか。

 

「いえ、まったく。まだまだ書きたいことがたくさんあって、ネタは尽きません。今年は物書きになって40周年。60周年の『女性自身』を追いかけて、私も50周年、60周年を目指して、これからも書き続けます」

経済ジャーナリスト

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