「昨年末で司法研修所での勉強を終えています。今は裁判所、法律事務所などでの研修が始まっています。司法修習生仲間もできて、先日は飲み過ぎてしまいました。研修後、法律事務所への就職活動は大変だと思いますが、この人に依頼してよかったと思われる弁護士になりたいです」
笑顔で語るのは、昨年9月、最難関の国家試験といわれる司法試験に、2度目の挑戦で合格した板原愛さん(28)だ。弁護士といえば、法廷で分厚い書面や六法全書を駆使しながら立ち回る姿を思い浮かべるが、愛さんは、角膜変性症という重度の視覚障がいがあり、視力は0.02~0.03で、視野も30度程度と狭い。文字を読むのも困難なのだ。
「父(克介さん・70)も同じ視覚障がい者ですが、複数の福祉施設を営む社会福祉法人の理事長として、晴眼者と同じように社会生活を送っているので、私も社会に貢献できるはず。文章を読み上げるパソコンソフトや点字機器、記憶、そして熱意を武器に、優れた弁護士になるため研修に励んでいます」
障がいがありながらも、人生の試練をくぐり抜けてきた愛さんは、勇壮なだんじり祭で有名な、大阪府岸和田市で生まれ育った。母親の和子さん(66)はこう振り返る。
「外出するとき、人目が気になったことはあります。でも“親の私が引きこもっていては絶対ダメだ”と。障がいがあっても、堂々と外に出て、やりたいことを挑戦させようと、夫婦で決めていました」
心配はつきなかったが、ほかの子どもたちと同じ体験をさせたい一心で、愛さんに自転車を与えたことも。車の交通量が少ない郊外とはいえ、ときには畑や溝に落ちたりしてしまったこともあったと愛さんは笑いながら振り返る。
「普通の小学校に通いたいと言ったときは、教育委員会に交渉してくれたし、両親は私の挑戦を必ず応援してくれる。でも、始めたことは“やり遂げるまで諦めるな”と厳しく育てられました」(愛さん)
小学校では、拡大文字の教科書を使用していたが、学年が進むにつれ、扱う文章も長くなり、拡大文字ではスムーズに読み進められない。勉強に遅れが出ないよう、中学校は東京の視覚特別支援学校へ入学。親元を離れての寮生活を始めた。
「このとき、初めて弱視や全盲の人たちと触れ合いました。1人で外出できない仲間もいたし、後ろから声をかけても、見えないからと、振り返らずに前を向いたまま会話する子がいたのは、ショッキングでした」
そういった環境に身を置きながら、愛さんはあえて繁華街へと出かけていった。
「入学早々、寮の風呂場で髪の毛を茶髪にして、超ミニスカートとハイヒール姿で、門限ギリギリまで遊んでいたんです。たいして好きでもない男の人を彼氏にしたりして(笑)。きっと“自分は普通”と思いたかったのかもしれません」
夜更かしした分、授業中は寝てばかり。勉強全般は嫌いだったが、生活と関わりのある政治・経済や、法律などには、興味が持てた。
「中学時代、分厚い点字の憲法の本に夢中になり、修学旅行にも持参したりして(笑)。次第に司法に関わる仕事をしたいと考えるようになって、周りには『弁護士になる』と宣言していました」
ところが、高等部への進学すらも危ぶまれるほど、成績は落ちていった――。
「『あんたみたいな勉強嫌いが弁護士になりたいなんて、弁護士に失礼』なんて笑われたり。確かに偏差値30台の劣等生。先生からも『現実を見なさい』と叱られる始末で……」
このとき、愛さんの夢を理解し、背中を押したのは、両親だった。
「これまで、“見えないから”と何かを諦めることはさせなかったし、たとえ弁護士になれなくても、その努力は役立つと思い、“どの大学の法学部に行くの?”とすぐに娘と話し合いました」(和子さん)
「障がいを持っていても、私は社会に貢献できるはず!」。そう信じて、見事に弁護士への切符を手にした愛さん。彼女を支えたのは、厳しくも温かい両親の言葉だった。