「今日は75食分作ります。ご飯は3升炊きますよ」
1月末の土曜の午後。地下鉄有楽町線辰巳駅から徒歩1分の場所にある「Cafe LaLaLa」のキッチンがにぎやかだ。エプロン姿のカフェオーナー・中澤照子さん(77)を中心に、4人ほどの近所の主婦が手伝って、カレー作りの真っ最中だった。
「大事な子どもたちに食べさせるものだから。ゴツゴツと具は大きく。特に牛肉は『肉食ったゾ』と思えるくらいの大きさにね」
そう言うと、中澤さんは手際よく、牛ブロック肉を特大サイズのぶつ切りにしていった。
「夜はまた冷えそうだわね。来た順にあったかいカレーを食べてもらいましょう」
夕方6時からは、今年最初の「カレー会」。かつて、犯罪や非行問題を起こした少年少女たちが、中澤さんのカレーを食べにやってくる。
中澤さんは、昨年12月23日に定年を迎えるまで、20年もの間、保護司として活動してきた。関わった少年少女は実に120人以上! 彼らと真正面から向き合い、更生させ、社会復帰させたのだ。昨年11月14日には、保護司としての長年の功労が認められ、天皇陛下から、藍綬褒章が授与された。
だから、中澤さんのカレーは「更生カレー」と呼ばれている。年に数回開かれるカレー会には、関わってきた子どもだけでなく、友人や家族も一緒に集まってくる。
「ふと気がついたら、120人の子どもたちだけでなく、そのご家族ともご縁ができていた。やがて、結婚した、子どもができたと、新しい家族との関係も始まっていく。この関係はずっと続くわけです」
6時をすぎて三々五々、中澤さんの“子どもたち”がやってきた。ほかほかと湯気の立つカレーを前に、3歳の男の子を膝に乗せたパパが感慨深げにこう言った。
「僕はかつてお世話になった1期生です。親子2代で、このカレーを食べることになるなんて、当時は想像もしませんでした」
その後も次々に“子どもたち”やその家族がやってきて、カレー会は夜10時まで続いた――。
「保護司になりませんか」
中澤さんに、そう声がかかったのは’98年。57歳のとき。33歳で一弘さん(78)と結婚し、江東区辰巳の団地で専業主婦をしていた彼女は、「保護司という言葉も、そのときまで知りませんでした」と、笑う。
保護司は法務省の非常勤の国家公務員。無給のボランティアだ。各地域の保護観察所の監察官から、「この保護対象者を受け持っていただけますか?」と、連絡が入り、受け持った対象者と月2回、その親とも月1回、面談し、月1で報告書を書いて提出する。
夫の一弘さんは、理解してくれたが、当時、25歳だった長女の綾子さん(46)は、猛反対だった。
「正直、怖いという思いが先でした。だって、自分の家庭に、非行少年が入ってくるんですから」
実際、真夜中に「拉致られる。助けて!」と、少年が3人も、団地に駆け込んで来たこともある。
「母はそんなときでも、理由も聞かずに『入りなさい』なんです」
最近では、中澤さんの活動が有名になり、綾子さんも「お母さん、すごいね」と、言われるそうだ。
「でも、正直、ピントこないんですよね。だって、母が保護司になってしてきたことって、報告書を書く以外は、保護司になる前から、ずっとしてきたことでしたから」
実は、中澤さん、綾子さんが小学生のころから、公園で一人で遊んでいる子や母子家庭の子どもたちを家に呼び、一緒にご飯を食べさせていたというのだ。
「あと母親が忙しい子どもたちには、遠足だ、運動会だというときに、お弁当を作ってあげたり……」
そんな日は朝から、「おはようございます。お弁当を受け取りにきました!」と子どもたちが中澤家の団地を訪ねてくる。中澤さんにとって、保護司は当たり前な日常の延長にすぎなかった。そればかりか、ときには、子どもだけでなく、その親の面倒までみてしまうのが、中澤さんだ。
第1期生の1人、タカシさん(仮名・当時17)は、小2のとき、一家で中国から移住してきた。両親は日本語が片言しか話せず、母親が作る料理はギョーザばかりだった。「そんな家に帰りたくない」と、暴走族に入ったタカシさんの話を聞いて、中澤さんはこう思った。
「タカシ自身は、とても優しい子。彼だけじゃなく、家族も一緒に変わっていかなければいけないな」
そこで、タカシさんの母親との面談の日には、「タカシの好きな料理を、まず、5つ覚えましょうね」と、台所で一緒に料理を作ることにした。タカシには、「この間、お母さんと卵焼きを練習したんだよ。作りながら、あんたのこと心配して、泣いてたよ」と伝えた。
面談を続けるうちにタカシさんの心もほぐれ、家族と一緒に食卓を囲むようになっていった。
「家族との関係は絶対に大切です。家族、学校、地域。みんなが協力し、変わらないと、子どもはよくならないんです」
そう考えた中澤さんは、地元の小中学校や児童館と情報交換をし、朗読のボランティアを始めている。地域とのつながりを作るため、保護対象の子どもたちに声をかけ、草むしりやゴミ拾い、夏祭りの櫓の設営などにも駆り出した。
「’98年ごろは、暴走族の子が多かったから、こっちも『束になってかかってこい』の心意気ですよ」と中澤さん。「みんなで悪くなったなら、みんなで半歩ずつよくなっていこう」と、仲間ぐるみで更生の道を歩かせた。
作業が終わると、手作りの「更生カレー」が、中澤さん宅で待っている。
「このカレーを食べたら、もう、うちの子だよ」
家庭に飢えた子どもたちの心を溶かす優しいカレーの味。秘伝の隠し味は、マヨネーズ、ケチャップ、そしてソースだ。どれも子どもたちが大好きな調味料ばかり。
そんな中澤さんの手作りサポートが、カレー会につながっていった。
カフェを始めたのは、昨年3月。保護司時代に縁のできた人たちが、いつでも気軽に立ち寄れる場所として、オープンさせた店だ。
「こないだも15年前に面談した男の子から、久しぶりに電話があって。ずっと連絡がなかった子でしたから、その名前を携帯の画面で見て、鳥肌が立ちましたよ。保護司を定年しても、子どもたちとの付き合いは一生もんです」