「神式、仏式……いずれにしても、葬儀や告別式はしないでほしい。40年以上前に登録してある大学の解剖学教室に、すぐ献体の手配をしてほしい……」
家事・生活評論家の草分けとして、30代半ばから本誌や新聞各紙などに執筆してきた吉沢久子さんが、3月21日、心不全のため都内の病院で息を引き取った。享年101。冒頭の言葉は生前、親族に伝えていたもので、その希望どおり、ご遺体は献体され、葬儀・告別式も一切、行わなかったという。
吉沢さんが80代に差し掛かったころから約20年、身の回りの手伝いをするために自宅に週1度、土曜日に通っていた、甥の妻にあたる青木真智子さんが、吉沢さんの「思い」を振り返る。
「先生(=吉沢さん)は『周りに迷惑をかけない』ということを心がけていました。葬儀や告別式を行わなかったのもその一環だったと思います。人が亡くなると突然行われるのが、葬儀ですよね。『突然、お知らせして、迷惑をかけるのがつらいから』と、先生はおっしゃっていたんです」
いつも浮かべる柔和な笑顔と優しい口ぶりの中にも、一本筋の通った意志が感じられた吉沢さんの101年の人生。
もちろんその源となったのは、「毎日三度のごはん」だったと、吉沢さんは97歳のときの本誌取材でも、語ってくれていた。
「食べるものがおいしいおかげで、おしゃべりも、日々の暮らしも楽しい。自分では、そんな年を取ったと感じることはないんです」
いまの時期なら春キャベツに新玉ねぎなど、四季折々の旬の野菜を上手に使う吉沢さんの献立は、「おいしいものをおいしく食べる」ことが基本で、青木さんによれば。
「毎日のように、食卓に並ぶ料理、たとえば煮物などは薄味でした。『一番だしでおだしを取って、野菜本来の味を引き出すのよ』とおっしゃっていましたね」
逆に、しっかりと濃いめに味つけする料理もあったという。
「意外かもしれませんが、たまにいただく3袋パックの焼きそばが大好きでした。もやしやキャベツ、庭で栽培している青菜、豚ヒレ肉などで、ソース味をしっかりつけて上手にフライパンを返していたものです」
日ごろの食卓は、薄味がメインで、たまに食べるメニューは、しっかりと満足できる味つけに。最期まで「体にいいもの」を食べていた吉沢さん。体を健康に保つことで、周りに迷惑をかけないように心がけていたのかもしれない。亡くなる直前にも……。
「お菓子の『納豆おこし』を病室の枕元に置いて、朝な夕なに1日10個くらい、ポリポリと食べていたんです。亡くなる前日まで“体にいいもの”をいただいていたんですね」
そうして、吉沢さんは3月20日の夜、いつもどおりに病室で眠りにつくと、安らかにそのまま、21日1時50分に旅立ったという。
「いろんな人に迷惑をかけたくない、とおっしゃっていた先生らしいご臨終でした。最期まで、有言実行で素晴らしい生き方だったなと思うんです」
そんな吉沢さんの“大往生の作法”は、その凛とした生き方を最期まで貫くものだった。