創業時からのOBは落胆。「息子に続き孫も入社させたのに……」 画像を見る

他社がリストラをしようとも「モノづくりは人づくり」と人材育成の大切さを掲げてきたトップ企業。なぜいま、従業員の“安心”を揺るがす必要があったのか――。

 

「なかなか終身雇用を守っていくというのは、難しい局面に入ってきた――」

 

5月13日、日本自動車工業会の会長会見での豊田章男氏(トヨタ自動車社長)の発言が、大きな波紋を呼んでいる。『トヨタの方式』の著者がある、経済ジャーナリストの片山修さんが語る。

 

「日本の企業で初めて売上高30兆円を超えたという、トヨタの’19年3月期決算が発表されたタイミングだったため、社員の気が緩まないよう、引き締める意図もあったでしょう。しかし同時に、経団連の中西宏明会長も『企業側からみると(従業員を)一生雇い続ける保証書を持っているわけではない』と話しているとおり、高度経済成長期に作られた“サラリーマンがそこそこ働いて、年功序列で定年まで勤め上げる”日本人の働き方が、トヨタであっても維持できなくなるという意味が含まれています。ほかの企業にも大きな影響を与える結果となるはず」

 

「人を育てるトヨタ」のイメージとは逆方向とも思える発言。名古屋市から車で1時間ほどの距離にある、トヨタのお膝元・愛知県豊田市にもショックを与えている。

 

夫が工場勤務をしているという、30代後半の女性が話す。

 

「もともとは挙母(ころも)市でしたが、昭和34年、トヨタの名を冠した市名に変更されたそうです。トヨタに勤める夫とは、トヨタ系のホテルで挙式をして、トヨタ記念病院で子どもを出産して、いまも毎日、トヨタの生協で買い物をしています。市民の多くはトヨタと共に生きてきたし、トヨタの一員であることに誇りを持っています。だから、今回の社長の発言には、心にさざ波が立っています……」

 

トヨタ創立3年目の昭和14年から60年もトヨタに勤務し、次男、孫もトヨタで働いているという板倉鉦二さん(95)は、機械油にまみれた創業者の豊田喜一郎さんの姿を思い浮かべ、静かに語った。

 

「昼休みのサイレンがなって工長が『飯だ、早くしろ!』っていうと、喜一郎さんが『おう』と言って、ピットから出てきてね。社長からは『お前たち工員は、トヨタの旗本だから、しっかり中心になって担っていくんだぞ』と、東洋一の工場にしようとハッパをかけられました。今よりもずっと家庭的な雰囲気がよかったですね。従業員に対しても優しかった。解雇は、昭和25年の労働争議で人を切ってからは、一度もありません。トヨタに就職したら、最後まで面倒を見てくれるし、その恩返しとして、社員は会社のために尽くしてきたんです」

 

現在、独立している元トヨタマンも、こう振り返る。

 

「製造業では、ダントツの待遇でした。私が働いていたころ、30歳前後で一軒家を購入して、定年前の50代でローンを完済する人も多くいました。福利厚生も手厚く、家を購入した後、海外赴任した社員には、会社が家を借り上げて家賃が生まれる制度までありました」

 

この好待遇による甘えが、終身雇用の“危機”発言につながったのではないかという見方も、現役世代からは聞こえてくる。

 

「社内でできることも外注のほうがコストがかからない。すると“何をやればいいのかわからない”という人が出てきます。就職さえすれば一生安泰……そんな給料泥棒なおじさんがいるのは確か。一方、若手にも、それほど強い忠誠心を感じなくなってきた。終身雇用を約束するより、待遇や労働条件をよくしたほうが人材が集まると思います」(事務系)

 

それを同社の内情に詳しいモータージャーナリストが補足する。

 

「’16年に、トヨタは製品群ごとに、7つのカンパニー制へと移行しています。簡単にいうと、高級車ブランドのレクサス、コンパクトカー、中型車のようなカテゴリーごとに独立した会社をつくりました。これには意思疎通のレスポンスの向上だけでなく、互いに競争心をあおる効果があった。その結果、奮起する社員も出てきたのです。それから3年、このへんでもう1つ刺激をという狙いが、今回の終身雇用制の発言に込められているような気がします」

 

さまざまな解釈があれど、トヨタが向かう独自の“働き方改革”に、日本中が注目しているのは間違いない。

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