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「アテンション・プリーズ……、ANA231便、ブリュッセル行きは、ただいまご搭乗の最終案内をいたしております。47番ゲートより、ご搭乗ください……」

 

繰り返し流れる、旅情をかき立てるアナウンス。大きなスーツケースを積み重ねたカートが所狭しと行き交い、航空会社のカウンターには、パスポートを手にした旅行者の長い列ができていた。

 

ここは成田国際空港、第1ターミナル南ウイング。出発便の運行情報を表示する電光掲示板の前に、1人の女性の姿があった。足を止め掲示板を見上げる多くの人のなかでも、背筋をぴんと伸ばして立つ美しい姿は自然と目を引く。やがて、彼女は周囲をくるりと見回すと、ほほ笑みを浮かべ、誰に言うともなくこうつぶやいた。

 

「うん、やっぱりいいわね、空港は……」

 

彼女の名は大宅邦子さん(65)。’74年、20歳で入社して以来、ANA一筋、客室乗務員(CA)一筋で、世界の空を飛んできた。’85年にはANAの国際線立ち上げのプロジェクトに最年少で抜擢。以降、おもに国際線のファーストクラスを担当しながら、客室全体の責任者・チーフパーサーとして、最上級のおもてなしを提供し続けてきた。

 

ちょうど1年ほど前の昨年11月。ラストフライトを無事に終え、大宅さんはANA初の、定年退職まで飛び続けたCAとなった。今夏には、45年という長いCA生活での経験や、育んできた思いを『選んだ道が一番いい道』(サンマーク出版)という1冊にまとめ、出版した。

 

「あっ、大宅さ~ん」

 

出発ロビーで本誌の撮影に臨んでいると、娘ほど年の離れた若いCAが彼女に気付いて遠くから呼びかけ、うれしそうに手を振る。それに応え、大宅さんもニコニコと笑って小さく手を振り返す。

 

8,000人を数えるANAのCAたちの多くが憧れ、慕い、そして誇りに思うーーそれが“空のレジェンド”と呼ばれる大宅さんなのだ。

 

「いちばん最初のフライトは……、2便目が鹿児島だったことは覚えてるんですけど、1便目のことは、インストラクターの先輩から『あなた、以前にもCAやってたの?』と聞かれ、驚いたことぐらいで、あまり覚えてないんです。無我夢中でしたし、なにより、50年近く前のことですから」

 

こう言って、空のレジェンドは苦笑いを浮かべる。しかし、記憶が曖昧になってしまうのも無理はない。当時、ANAの、女性の定年は30歳。CAにいたっては結婚したら退職という制度まであったというから、隔世の感すら抱いてしまうことだろう。

 

「あのころのCAはまだ、結婚前にちょっとやる、そんな仕事だったんです。それがまさか……、65歳まで飛ぶことになるなんてね」

 

’86年7月の国際線就航以来、大宅さんは30年以上、チーフパーサーとして乗務を続けてきた。当初の定年、30歳も、37歳になり、45歳に延び、国際線就航のころには60歳になっていた。今では保育所が用意されるなどサポート体制も充実し、結婚、出産を経て、飛び続けるCAも珍しくない。

 

とはいえ、ハードな仕事内容が軽くなったわけでもない。40人いた大宅さんの同期も、わずか1年で寿退社した1人を筆頭に、次々に退社。ともに最後まで残っていた同期も40歳で管理職になり、飛ぶことをやめてしまった。

 

「やっぱり長時間勤務に、時差のきつさ、そういったことを抱えながら気をつかう接客というのはこたえるんでしょうか。体力的にきつくなってしまうんでしょうかね」

 

それでも、大宅さんだけは飛び続けた。

 

「60歳のとき、今後は雇用延長の形になります、と告げられて最初は、そろそろゆっくりしてもいいかな、と思ったんです。でも……」

 

翻意させたのは、90代になっていた母だった。

 

「母が言ったんです。『まだ元気なんでしょ』って。ずっと自分も働いてきた母ですが、56歳のときに耳を悪くして仕事を辞めざるをえなかった。だから母から見たら、私はまだまだ元気だと(笑)」

 

こうして、65歳まで飛び続けることになった大宅さん。

 

そのラストフライトーー。ロンドンを現地時間11月19日19時2分に飛び立った212便は、日本時間20日15時56分に羽田空港に到着した。定年を迎える機長の中には、機内でその旨をアナウンスし、乗客に感謝の気持ちを伝える人も。

 

「でも、CAの仕事はお客さまの安全を守ること、そして快適に過ごしていただくこと。この2つが最優先で、私の個人的なことはお客さまには関係ないですから。安全と快適を確実にするためにも、ふだんどおり、いつもどおりにしてくださいと、皆にはお願いしたんです」

 

長年、第一線で活躍し、輝き続ける秘訣もそこにあると考えている。

 

「当たり前の毎日を慈しみ、積み重ねていくことが大切だと思っているんです。ふだんどおり、いつもどおり、と毎日を生きてきたら、気がついたら45年もたっていた、そんな感じなんです。もちろん、最後のフライトも、その気持ちで臨みました」

 

再雇用後は、チーフパーサーの重責を解かれていた大宅さん。だが、この日は満席となったファーストクラスの責任者として乗務、機内アナウンスも担当した。

 

「最後のアナウンスも、ふだんどおり、いつもと同じ内容を読み上げました」

 

どこまでも、いつもどおりに徹する。だが、飛行機に一礼して降り、到着ロビーに出ると、いつもと違う光景が目に飛び込んできた。大勢の同僚が、後輩が、仲間たちが大宅さんを待っていたのだ。もう涙ぐんでいる後輩CAが、首にレイをかけてくれた。

 

「驚きましたし、申し訳ない気持ちにもなりました。私のために、オフィスには200人以上の人が集まってくれていたんです。制服姿の人もいれば、休暇中の私服の人や、もう30年以上前に退職した元CAの懐かしい顔も。そして、分厚いアルバム7冊分の、後輩たちからのメッセージカードをいただいて……」

 

あふれ出る涙で、カードの文字はかすんで見えた。

 

引退後も、人生相談や職場の愚痴の聞き役と、現役CAとの交流が続く。さらに講演依頼を受けて地方に飛んだり、友人に誘われて18年来の愛車・BMWでロングドライブに出かけたり。そうかと思えば最近始めた囲碁に「奥が深いですね」と夢中になったり。

 

「この記事が出るころには、ヒマラヤを見にネパールなんですよ」

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