画像を見る

「最近はね、体悪くしたこともあって、刺繍はぜんぜんやれてなかった。早くまた毎日、刺繍ができるまでに、体調を戻したいなと、そう思ってるところなの」

 

彼女はこう言って苦笑いを浮かべた。「最近はやってないから」と言いながら、それでもじつに手際よく、次々と布に針を刺し糸を通していく。そのスピードと、美しさに記者が見とれていると、彼女はもう一度、にっこりとほほ笑んでみせた。

 

彼女は宇梶静江さん(87)。明治期の北海道が舞台の人気アニメ『ゴールデンカムイ』。ヒロインのアイヌの少女「アシリパ」(リは小文字)が、さまざまなアイヌ文化を紹介するのがヒットの一因だ。そして、北海道生まれの静江さんも、アシリパと同じように民族の文化や伝統を大切にしてきた、アイヌである。

 

静江さんは古い布の上に、民族に伝わる叙事詩『ユーカラ』のいくつものシーンを、伝統的な刺繍の技法で描く「古布絵」の作家として、また詩人として、国内外に名をはせている。一方で長年、アイヌの解放運動にもたずさわってきた。

 

長年、不当な差別に苦しめられてきたアイヌの人々。静江さんも子供時代を振り返りながら、苦々しい表情を浮かべた。

 

「あのころ、差別という言葉がない時代の差別ほど、恐ろしいものはなかった」

 

それが昨年、「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律(アイヌ新法)」が施行され、日本政府はようやく正式に、アイヌをこの国の先住民族として認めた。今年の夏には北海道白老町に、博物館や慰霊施設などからなる「ウポポイ(民族共生象徴空間)」も開業。先述のアニメの人気も含め、多くの人がアイヌに注目し、彼女らを取り巻く環境も変化してきているようにも思えるのだが。

 

ウポポイについて記者が尋ねると、静江さんは刺繍の手を止め、大きなため息を一つついた。

 

「中身はなにもないです。あれは、アイヌのための空間ではない。和人の理想の、和人が作った和人のための施設だと思います」

 

政府やアイヌ以外の人を「和人」と呼んだ。そこに長年、差別や偏見と闘ってきた彼女の怒りと悲しみが、にじみ出ているようだった。

 

「(子供の頃、)犬を飼ってる家の前を通ったら、そこの子が犬を私にけしかける。ほえる犬が足元まで来て、私がおびえると、その子の親は止めることもなく笑って見てる……そんないじめは日常茶飯事でしたよ。小学校では、先生からアイヌの子には目をかけなくてもよろしい、というおふれがあったようですね。だから、どんなにいじめられていても、放っておかれました。先生に認められるなんてことは、夢にも思えなかった」

 

父は昆布漁、木材の伐採などで家族を養っていたが、戦争が長引き食糧難になって「子供にひもじい思いをさせまい」と農業に転向。6人きょうだいの上から3番目、次女の静江さんが10歳のときだ。しかし、当初は凶作が続き、家はますます貧しくなった。そうした貧しいアイヌの子は、農作業や奉公に出て働くのが当たり前、学業は二の次だった。

 

だから、静江さんの10代は、ひたすら父を手伝い必死に田畑を耕し続ける日々だった。魚の行商で成功したこともあったが、心の片隅にはいつも「勉強したい」という思いがくすぶっていた。

 

19歳の秋。親戚が集まったいろり端でのこと。「静江も来年は二十歳、嫁に行かなきゃな」と不意に言われ、とっさに彼女は「嫁には行かない!」と宣言する。

 

母は泣き出したが、父が助け舟を出してくれた。

 

「将来、子育てする女が学校に行くのも、決して悪いことじゃない」

 

家長の発言に、兄が続いた。

 

「静江、行くなら札幌にしろ。それで学校の先生になってくれ」

 

札幌の中学校では、いじめや差別は一切なかったというが、アイヌということがネックになって就職は困難だった。こうなったらもう、東京に行くしかない。そう決心し両親を説得。頑固な父も最後は根負けした。それどころか、どこからか工面してきた2万円という大金を、餞別として汽車に乗る娘にもたせてくれた。こうして静江さんは56年3月、大都会・東京に。23歳だった。

 

その後結婚し、詩人として、そしてアイヌの誇りを持った古布絵作家として活動を続けていく静江さん。87歳になった今も、夢がある。それは、アイヌらしい暮らしぶりを知る最後の世代として、次の世代の同胞たちに民族の誇りを持ってもらうこと。そのため、いまもコロナ禍のなか、精力的に全国を回っているーー。

 

「女性自身」2020年12月29日号 掲載

【関連画像】

関連カテゴリー: