■婚約者の母親からの「お金を返せ」
遺産相続の騒動による不幸は金銭面だけではなかったという。
「まだ裁判が続いているころ、私には婚約者がいました。1つ年下の男性で、ラブレターを何十通も貰ったり、向こうからの猛烈なアプローチの末、交際を始めました。彼のお母様からも『この子は真里ちゃんが大好きだから結婚してやってくれ』と言われました。
でも結納の日の夜に、彼から耳を疑うことを言われたんです。『これから人生色々あると思うけど、幸せになれるといいね。真里の遺産によるね』と。『遺産による』って何? 普通そんな言葉出ます? 私の遺産を待っていたんです。お酒でヘベレケのときの発言ならまだ受け止められたかもしれませんが、結納の夜にそんなことを言われて、女性としてどうしても受け入れられませんでした。だから婚約は破棄しました」
しかも、婚約者を失っただけでは終わらない。
「彼の母親から訴えられたんです。今まで貢いだお金を返せって。でも、一緒に住む家のための家電なんかは買ってもらったりはしましたが、金銭やアクセサリーなんかを貰ったことはありません。結局、弁護士を挟んで解決しました。元婚約者とは友人の期間も入れれば7年間見てきた人だったので、相当なショックでした。人間不信になります」
真里さんは、その出自によって翻弄され続けてきたという。
「父は母のことが『青春のすべてだ』と言っていたそうです。金銭も絡まず、本当の恋愛だったのでしょうね。2人はそれでいいですよ。でも、私は一時期、母を恨んだんです。私は、どんなに貧乏でもいいから、お父さん、お母さんがいる普通の家庭に生まれたかったんです。
だから、あまりに辛いとき『私はお母さんに産んでくれなんて言ってない。生まれる子供がかわいそうとお母さん思わなかったの?』って言ってはいけないことを言ってしまったんです。そしたら母は、『すまない、真里よ。私は、本当に愛して、愛した人の子供を授かったから産みたかっただけだ。許しておくれ』って。私がしたことじゃないのに、全てを被るのは私なんです」
ただ、父との温かい思い出もあるという。
「鮮明に覚えているのが、赤い雛菊の花がいっぱいに咲いていて、強烈な夕日が差していて、まるであの世のような風景の中、着物をきた父と母と3人で椎の実を一生懸命拾った情景です。他にも、これは後から知ったことですが、父が友人を介して『ばれないように真里のを買ってくれ』ってランドセルやひな壇を買ってくれていたそうです。父の友人によると、父は赤ん坊の私を右に揺すったり左に揺すったり、誰よりも喜んでいたそうです」
今後は心機一転、東京に活動拠点を移す予定だという。
「これまでは、母が私を育てるために26歳で自力で買った京都のマンションの経営を大学卒業後から一緒にやってきたのですが、それも母が任意売却しました。母の遺言で、東京に出てマンション経営をする約束をしたので、自宅を売ってその売却資金を頭金にして、今後は東京でマンション経営をするつもりです。それを基盤にした上で、あとは、自分の夢なんですけど、美容関連が好きなので、将来的にはホワイトニング、美白歯科の経営をしたいと思ってます」
壮絶な人生とは裏腹に、真里さんの表情は明るい。
「長い裁判と、母が倒れたことによって、10年は寿命が縮んだように感じます。でも、終わったことは忘れるようにしています。母の言葉で『苦労も肥やしに。笑っても1日、泣いても1日。人は過去を見ない。だから今日という日を大切に生きなさい』って。明けない夜はないですからね」
波乱の人生の第二幕が始まろうとしている。