■「当事者意識、全くなし」
「知事の判断」を全面的に押し出した丸川五輪相だが、誤解を招くことにはならないだろうか。全国紙記者が語る。
「埼玉県ではバスケットボールやサッカー、千葉県ではフェンシングやテコンドーなど午後9時以降に予定されている試合もあります。いっぽう首都圏1都3県では感染症対策として、現在、イベントの開催時間は午後9時までです。そのため観客の有無以前に、五輪競技だけ時間制限を緩和することは『矛盾している』といった指摘もあがっています。
しかしながら五輪に関する判断について、競技会場のある自治体の知事に決定権はありません。丸川大臣の説明ですと、『判断するのは知事』と責任を押し付けているように受け取られてもおかしくありません」
“最終的な判断は知事に委ねる”とも言わんばかりの丸川五輪相の発言に、ネット上では「無責任」と存在意義を問う声が相次いでいる。
《「判断」という表現が卑怯ですね。知事は要請する側で、判断するのはあなたでしょう? 判断主体を知事であるかのように表現していては、丸川大臣あなたは何のためにいるのでしょうか? 批判を受けない為に知事に責任を丸投げしてるようにしか、思えません》
《夜間無観客は知事判断でできる…ってこの方は言ってるんですかね? ならば昼間無観客も知事判断できるんですかね? その権限を大臣が認めた、ということでいいんですかね?》
《当事者意識、全くなし》
また、丸川五輪相はコロナ禍で五輪を開催する意義について問われ、次のようにも述べたという。
「アスリートがどれほどの努力を重ねてきたか、実際競技をしている姿を見ることを通じて、『これから社会を動かそう。自分たちの生活を、もう一度動かし始めよう』と思う勇気を分かち合う大会になれば素晴らしい」
「社会」や「生活」を持ち出すのであれば、もっと寄り添う姿勢が必要なのではないだろうか。