ヒマラヤへ通う美容師 リウマチの激痛を乗り越え見えたもの
画像を見る 千早赤阪村の自宅でのカット風景

 

■「手首を切り落としたいほど痛い……」リウマチを患ったことが転機に

 

1973年、東大阪市生まれ。美容専門学校に進学したころ、彼女の人生に病が影を落とす。

 

「18歳のとき、足首を痛めて『捻挫かな』と思ってたけど、半年経っても痛みが引かないので、病院行って血液検査受けて。診断結果はリウマチって……」

 

10代だった稲葉さんは病名を聞いても、ピンとこなかった。

 

「『温泉行ったら治るかな』なんて軽く考えてた。でも、母はショック受けて、目に涙浮かべながら『治らん病気やで!』って。私も本、読みまくって。知れば知るほど、落ち込みました」

 

日増しにひどくなる痛みを抱えながら、稲葉さんは美容師に。就職先の美容室のオーナーは、彼女の病気に理解を示し、治療のため営業中に店を離れることも認めてくれた。でも、店の先輩のなかには、営業途中に抜けがちな彼女のことを快く思わない人や、彼女の持病について無理解な人も少なくなかった。

 

「新人ですから、来る日も来る日もシャンプーで、手首むっちゃ使って。だから。もう、手首の軟骨は、なくなっちゃった」

 

いまでこそ、明るく振り返る稲葉さんだが、当時は「手首を切り落としてしまいたいぐらい」の痛みだったという。

 

「どんどん痛みはひどくなって。痛み止めの薬を大量に飲んでました。それでも痛みがマックスのときは効かない。『もういやや、こんな痛いの』って、毎日、泣いてました」

 

2つの店で4年ほど働いたが、激痛を抱えながらの仕事は無理と判断し辞めた。いずれ歩けなくなるかも知れないという恐怖心も常にあった。「動けるいまのうちに」、その思いが稲葉さんを旅へと突き動かす。ベトナム、タイ、カンボジア、インド、ネパール……、休みのたびに海を渡った。「旅は学びの場」と話す。なかでも、ベトナムで目にしたシーンに、稲葉さんは胸を衝かれた。24歳だった。

 

「戦争で手足を失くした人が大勢いて。なかでも、下半身を失った少年がスケボーに上半身だけを乗せ、それでも堂々と大通りを渡っていく姿には言葉も出ないほどの衝撃を受けました。『すごい! それに比べて私には手も足もあるのに、なにしてんのやろ』って。そのときですね、病に正面から向き合う覚悟ができたのは」

 

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