ヒマラヤへ通う美容師 リウマチの激痛を乗り越え見えたもの
画像を見る パートナーと。「私が好き勝手できるのも、家族のおかげ!」

 

■人の温かさに触れた旅路

 

稲葉さんは03年、チベットのカイラスを巡礼。04年には西ネパール・ムクチナートに。そして、07年、西ネパール研究の第一人者で、西ネパール登山隊の隊長だった故・大西保さんと知り合い、登山隊の一員として、初めてドルポに。

 

「ずっと夢見てた場所でしたから、嬉しかったです。しんどかったけど、それを上回る楽しさがありました」

 

09年にも同登山隊に参加。さらに自ら遠征隊を立ち上げ12年、16年と、計4回、夏から秋のシーズンに様々なルートでドルポを横断した。そこで募っていったのが「厳しい冬、ドルポの人々がどんな暮らしをしているのか知りたい」という思いだった。

 

こうして、19年11月11日、大阪を発った稲葉さん。出発から12日目には5千165メートル、凍結したバ・ガラ峠を越えるなど、ひたすら歩いてドルポを目指した。

 

「ドルポの村までは麓から8日間、歩かないといけないんです。私が登っていった時季は、冬を下で過ごす村人が下山してくるタイミング。すれ違うたびに、皆に驚かれました。『何しに行くねん? 寒いだけやぞ』って(笑)」

 

忠告されたとおり、寒かった。昼と夜の寒暖差が激しく、もっとも寒いときは、テント内の気温がマイナス18度を記録した。その厳寒の地で、子供や女性がよく働いていた。

 

「子供は凍った斜面を谷底まで降りて水を汲みに。女性たちは、太陽が出れば外に出て、終日、毛糸を紡いでました。そして、寒いだろうからと、私に毛織の上着をかけてくれた。どんなに高性能のアウトドア用ジャケットよりも温かったですね」

 

■私は限界に挑み続ける

 

植村直己冒険賞を主催する豊岡市(兵庫県)から贈られた記念の盾にはこんな文言が記されていた。

 

「自分の限界に挑戦しながら行動し、困難を乗り越えていく姿は、多くの人々に夢と勇気を与えています」

 

常に限界に挑み続けてきた稲葉さん。嫌いな言葉は「無理」。

 

「無理って言うたら、あかんねん。無理って言うたら、ほんまに無理になる」

 

いまもリウマチの痛みはある。疲れが溜まったり、精神的にショックなことがあると、決まって体に激痛が走る。それでも、稲葉さんは決して下を向かない。挑戦をやめることはない。

 

「ドルポ越冬のときも、リウマチを抑える注射、長いこと打たなくても大丈夫でしたからね。やっぱり山で痛みはおさまると、私は思ってるし、自分の治癒力を信じてる。そして、大西さんたち先駆者の跡を継ぐと言ったらおこがましいですが、この先ももっと慧海師の足跡を追いかけ調べたい。今度はヒマラヤのチベット側の未調査のルートを行きたいんです」

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