最高齢女性サーファー71歳!ビッグウェーブに年齢関係なし
画像を見る 見事、波に乗る笈川孝子さん71歳

 

■波間に見たことのないスポーツに興じる若者が。「これは何?」「サーフィンだよ」

 

笈川さんは50年、東京の下町に生まれた。父は築地でマグロ問屋を営み、母は父が開いた寿司店の女将をしていた。笈川さんは5歳から日本舞踊を習っていた。

 

「私、おてんばだったから、父が少しでもおしとやかにしようと通わせたんです。でも、私はやりたいことしかやらないマイペースな子。お仕着せの日本舞踊が、だんだんいやになって。それでも、一応は踊れていたから、両親は将来、私を踊りの先生にさせたがって。ま、実際そうなっちゃったけどね(笑)」

 

地元の小学校を出て、中学からは都心にある私立校に通った。

 

「そのころから、勉強が忙しいと言い訳して、踊りのお稽古を休むように。でも、父がやめさせてくれなかった。『始めたことは結果が出るまでやれ』と。だから、サボりながらしばらくは続けましたけど。結局は行かなくなりましたね」

 

すぐに、強烈にやりたいことが見つかった。それは中学卒業前の春。友人と遊びに行った平塚で海を眺めていると、波間に見たこともないスポーツに興じる若者たちがいた。やがて、海から上がってきた彼らに、好奇心を抑えきれずに尋ねた。「これは何?」。すると、1人の少年が教えてくれた。

 

「これはサーフィンっていうんだ。一緒にやろうよ、楽しいから」

 

15歳、運命の出合いだった。

 

ほどなくして、笈川さんは平塚の海に通い始める。小学生時代、水泳大会に出場するなど、泳ぎには自信があった。それなのに、初めはまるで歯が立たなかった。

 

「沖に出ることすらできないの。板の上に腹ばいになってパドリング、手で海面をかいて進むんですけど。そのうち波がザブンと来てひっくり返され戻される。当時は足首と板をつなぐリーシュというひももなかったから、流されちゃった板を泳いで取りに行って。またパドリングしてザブンと波にやられて……。ずっと、その繰り返し」

 

沖に出るのに数カ月、ボードの上に立てるまでには、1年近くを要した。

 

「最初に立てたときは、うれしかったはず。でも、覚えてないの。なんせ50年以上前だから(苦笑)」

 

それでも、波に乗る高揚感は何事にも代え難かった。毎週末、湘南に通い、どんどんのめり込んだ。仲間も増えた。ゴッデスの鈴木さんともこのころめぐり合い、自分用の板も作ってもらった。

 

一方、学業はエスカレーター式で系列の高校、さらに短大に進学。

 

「18歳ですぐ、車の免許をとって。短大では友達に授業の代返を頼んで、平日も車で海に行って、ガンガン波乗りしてました」

 

海の帰りに元町で買い物。夜は赤坂のディスコに繰り出し、ボウリング場でアルバイトも。時は60年代末。笈川さんは時代の先端を突き進むように、青春を謳歌した。

 

厳格な父は波乗り、踊りに明け暮れる娘に、意外にも寛容だった。ただ一点だけ「何をして遊んでもいい、その経験を必ず生かせ」と。そして、やはりここでも「始めたことは結果を出せ」と付け加えた。

 

「私が波乗りを始めたころは、女子は数えるほどしか。だから、大会に出ても、立てるだけで入賞(笑)。ところが年々、女子も増えてきて。私、負けず嫌いだから『昨日今日、始めたコに負けられない』って目の色変えて取り組み始めて」

 

同時期、サーフィンはファッションや文化の1つとして、若者の間で流行し始める。

 

「『丸井』で板を売りだしたあたりからかな。私たちは『ハイウェイサーファー』なんて呼んでたけど。格好だけの、にわかサーファーがどんどん海に増え始めた」

 

急増する初心者。なかにはサーファー同士のルールを守らない、勝手気ままな者も少なくなかった。

 

「危なくてしょうがないから『邪魔だー!』って怒鳴って板をひっくり返してやったこともあった」

 

やがて笈川さんは、比較的人の少ない千葉方面に通うように。

 

「御宿の少し南に『シンガ』と呼んでたポイントがあって。そこは、上級者向きのいい波が立つんです。でも、海底は岩がゴロゴロ、ひっくり返って波に巻かれたら大けがするような場所」

 

笈川さんはその海で、おなかにボードの先端が突き刺さったり、左目の上を3針縫うけがを負いながら、猛練習に励む。果たして73年、全日本選手権で準優勝に輝いた。

 

「優勝者は湘南に住んでた女のコ。練習量が違う。彼女は毎日、海に入ってた。週に数回、東京から通っていた私には2位が限界でした」

 

大会後、笈川さんは鈴木さんから、こう持ちかけられたという。

 

「日本も、これからはプロサーファーが誕生する。笈川さんも湘南に住んで、プロにならないか?」

 

このとき、23歳。笈川さんは人生の大きな岐路に立っていた。

 

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