■「私はおむつをします――」具合が悪ければ誰だって仕方がない
よわい九十にして腰椎骨折は深刻だ。もとより澤地さんは、心臓の僧帽弁狭窄症(そうぼうべんきょうさくしょう)があり、28歳で最初の手術をしている。10年後に2度目の手術、15年後には人工弁を入れ、現在ペースメーカーをつけている。ハンディキャップのある身なのだ。弟の手配で、2日後の13日から家政婦が「9~18時」で日参することに。
「痛くてまったく動けない私にとって、差し迫った大きな問題は、『トイレの困難をどうするか』ということでした」
2日目まで「這ってでも行かなきゃ」と自力でトイレに向かっていたが、3日目に家政婦が来たタイミングで発想を切り替える。
「私は、おむつをします」
同じ女性であるとはいえ、家政婦は家族ではない。そこに屈辱を覚えなかったのだろうか。
「そんな『屈辱だ』なんて言っていられない。痛くて、動けなくて、どうにもならないから、自分から言ったんです」
こんなとき、澤地さんの思い切りのよさが発揮されるのだ。
「具合が悪ければ誰でも、おむつはするでしょう。だから、いまは仕方ないと。根が楽天的なもので、『これで終わりだ、ずっと寝たきりだ』なんて絶望はまったくなく、その先には当然『おむつを取る日』が頭にあったんです」
しかし孫の年代ほど年下の家政婦が18時に辞去後、明け方までの時間帯におむつは重くなり、ぬれた感触が気持ち悪かった。
5月20日には《取り換えに3時間かかった》と記されている。
「自分で外して、新聞紙に包んで、捨てて新しいのと取り換えて……にそれだけ時間がかかった。《途中で眠る》と手帳に書いてあるわよ」
あきれたように、笑った。
31歳のときに父をがんで亡くし、41歳の作家デビュー直後に母を脳卒中で亡くした。以来続ける単身生活の基盤には「強い自立心」があることに違いないだろう。
「なんでも自分の手で、できる限りやる。そのために、できることから始めたんです」
しかしこの「3時間おむつ替え」はよほど難儀だったか、翌日には、強引におむつを取って下着に戻してしまった。そしてベッド近くにポータブルトイレを置き、その間の数歩の移動を、リハビリ、トレーニングの第一歩とした。
ときに、26日からは弟がケアマネジャーと相談していた地域包括支援センターから、訪問介護員(ホームヘルパー)が来ている。
訪問介護とは、月〜金曜の1日約1時間、食事やトイレ、入浴などの「身体介護」と、調理や掃除、洗濯などの「生活援助」を利用できる制度のことだ。このときの澤地さんの認定結果は「要介護4」で要介護度では2番目に重く、「日常生活全般に介助が必要な状態」に該当した。
「民間の事業の家政婦さんは日当が約1万円で、毎日お願いし続けるにはお金がかかりすぎます。その点、介護保険が適用できるヘルパーさんは負担が軽く、『こんな額で利用できるんだ』と支払いの段階で初めて知りました」
ヘルパーは料金体系が細分化されているが、介護保険適用で1割負担の場合、生活援助サービス1回の利用が45分未満で181円、45分以上で223円などと割安だ。
それはさておき、寝たきりだと気力・体力の衰えにつながり、高齢者の場合、そのまま人生の最期を迎えることも少なくない。だが、澤地さんは……。なんと要介護認定から数日後の5月28日には、訪問医の指導で足の運動を始めている。
「膝の曲げ伸ばしと、足首伸ばしで精いっぱいでしたが」と本人は控えめだが、翌日の手帳には《トイレまで歩く》の文字が躍るのである。
「携帯トイレを使いたくなかったので、歩行器を使って、とにかく自分でなんでもやろうと。独立心が強いんですよ」
さらに5月31日にはヘルパーが調理した食事を《テーブルで食べた》とあり、すでに“寝たきり”から脱却していたことがわかる。6月には杖を突いての自立歩行でトイレまでの往復にトライ。要介護度は「2」と見直された。
7月3日、15年から毎月3日に継続してきた市民有志による「アベ・スガ政治を許さない」全国アピール・国会前スタンディングに、車いすで2カ月ぶりに登場。約7週間ぶりの外出となった。同月28日には《杖を持って大通りを歩いた》と記されている。
そして8月に入ると2階の仕事部屋までの階段を、手すりにつかまり上り下り。同3日には、杖をつき、歩いて国会前に姿を見せた。
要介護度は20年11月以来、今日現在まで「要介護1」であり、毎月3日の国会前アピールも欠かさずに参加している。
つまり澤地さんの要介護度4の寝たきり状態は、わずか3週間足らずの超短期だったことになる。
「特段、肩に力が入っていたわけではないんです。だっていつ人生の終わりが来ても、おかしくない時期を生きているということは、わかっていますから。でも振り返って言えるとすれば、おむつをしていた10日のあいだに『もうダメだな』と思っていたら、ダメだったでしょうね……」
終始、毅然とした口ぶり。その、常人には及びもつかない精神力と生命力は、何によって培われたものなのか。
それは取りも直さず、満州で「人の一生分を経験した」少女時代と、3度もの心臓手術を経て回復を遂げてきた事実の積み重ねに、ほかならないだろう。
いや、それにしても強い人だ。
(取材・文:鈴木利宗)