■子育てが一段落するとトラックへの思いが募り……
「私の仕事は、4トン車でスーパーなどに野菜を運ぶ仕事。とにかく、家庭の乗用車じゃなく、大きなトラックを運転できるのが楽しかった」
ところが、思いがけない事情で、トラックを降りることになる。
「1年半ほどしたとき、長女を妊娠すると、会社側から『何かあっても責任がもてない』と言われ、トラックに乗れなくなるんです。でも、私はとにかく車から離れるのがイヤで、ダンナの隣の助手席に座ってましたね。大きくなり始めたおなかで(笑)」
その後は、長女に続いて、2人の男の子を授かったため、13年近く、専業主婦の生活となった。もちろん、石原さんとしては、すぐにも復職したかったが、
「当時の環境では、女性がトラックドライバーと子育てを両立させるのは困難でしたね。たとえ保育園に預けられても、荷物の配送先で順番待ちの長い行列ができていて、お迎えの時間に帰れないということも多かったり。ですから、子育ての期間は、子供たちを幼稚園に通わせて、私はひたすら、家で内職でした」
あらゆる内職をしたそうだ。旅行パンフの封入、生花のビニール詰めなどなど。
「母の日の季節には、カーネーションなどの造花作りを、4日で6千本とか……。とにかく目いっぱい内職するしかなかったというのは、長女が小学校に上がるころに離婚したんです。
原因は、3人の子供がいても夫が子育てに協力してくれなかったこと。たとえば、家の中がにおっていても、オムツ一つ替えてくれなかった。この先は子供たちのために頑張ろうと、その思いだけでした」
日々、内職に追われながらも、一つだけ大事にしていた家族の行事があった。
「幼いころ、自分がしてもらったように、時間を見つけては、子供たちをドライブに連れていきました。あの子たちのお気に入りの場所は境港の水木しげるロードです」
家計的には苦しい生活が続くなか、子育てが一段落すると、またトラックへの思いが募ってくる。
「末っ子が小学校に上がれば、朝の通学時間も決まってくるし、放課後は学童保育もある。そうなれば、復帰できるかもしれない。
そんな思いを、当時お付き合いしていた男性がたまたま岡山スイキュウの社員だったので相談してみたら、会社側も『主婦ドライバーが働ける環境を作ろう』という動きがあって、まさに双方のタイミングが合ったんです」
次男の小学校入学式の直前、3人の子供たちを集めて言った。
「ママは、またトラックに乗るからね。寂しい思いをさせるかもしれないけど、ママが働かんと、うちにはお金がないから。だから、一緒に頑張ろうな」
そして入社した岡山スイキュウで、運転の才能を一目で見抜かれドラコンを目指すことに。2度目の挑戦で、見事優勝を勝ち取った。
石原さんは、今後は、ドラコン全国大会を目指す後輩ドライバーの指導役にまわる。
「ドラコンを目指すということは、結局は、私たちがいちばん大切にしている安全運転の腕を磨くということなんですね。私自身、まだまだ健康で運転は続けますが、ドライバーとしての引き際も考えています。
ずっと、積み荷の量と配送先までの距離などから、自分で“何分で行けるやろう”と計算して、ほぼ時間どおりにやれてます。その読みが狂いだしたら、それが車から降りる潮時でしょうね」